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足元注意 [何か変]

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何年か前、骨が折れました。別に苦労や努力をして他人様から感謝されるお骨折りではありません。肉体的に痛みを伴うただの骨折。業界の専門用語では左上腕骨外科頚骨折というそうです。
こぬか雨降る横浜駅西口の盛り場。見ず知らずの若い衆数人といざこざになりました。奴らが小粒だったので負けるはずがないと高をくくっていたのですが、相手の一人が捨て身で振り回したランドセルが左腕を直撃。あえなくダウンしたというのは嘘。稲村ケ崎でテイクオフした私のショルダー側からドロップインしてきた海のない県に住むサーファーに激突されたのでした。もちろんこれも妄想。真相は段差に気付かず空足を踏んでダイナミックに転倒した自損事故です。高齢者の4大骨折に数えられるそうで、若い人はあまりこうした骨折はしないとか。私も還暦過ぎた身なので立派な老人という証でしょうか。転倒した直後、シャツの左肘付近が破れ、肘と指先から多少の出血があり、腕にも多少の痛みはありましたが、そのままその夜のメインイベントであったお取引先主催の焼肉パーティに出席。同席者の心配をよそに立派に一人前以上いただきました。蒲田行進曲のヤスを真似たわけではありませんが中学時代に自宅の階段最上部から転げ落ち足の甲にひびが入ったことはあるものの骨折経験はゼロ。骨が折れていたらこんな痛み程度ですむはずがないと思っていたものの帰る際には左腕に力が入らず左手でモノを持つことは困難な状態。鞄を持って混んでいる電車に乗り、つり革や手摺につかまることもできないと考えタクシーで帰宅しました。自宅近くについても財布からお札や小銭を取り出すのに一苦労。運転手さんはこいつ酔っぱらっているのか、顔色は悪いし車を汚される前にとっとと降りろと気をもんでいたに違いありません。帰宅後、四苦八苦して服を脱ぎ、ちゃんとお風呂にも入りました。骨折ではなくただの打ち身か捻挫と勝手に診断していたので湯船の中で念入りに上腕部を揉みほぐした次第です。就寝後、さらに翌朝になっても痛みがあったので、医者とは疎遠の私も念のため近所の整形外科を訪れました。レントゲン写真を見た医師は、「骨折していますね、手術した方がいいでしょう」と無責任な言葉を発したのです。そして「紹介状を書くので大きな病院にいってください」と私は丁寧に診療拒否されたのでした。後日訪れた大病院でも判決が覆ることはなく“骨折”のまま。幸い「手術したくなさそうな顔していますね」との若い医師の洞察力に救われ入院手術は免れましたが。ひょっとするとベッドが満床だっただけかもしれません。
しかし、利き腕ではない左腕の骨折にもかかわらず何をするにも不自由で鬱陶しい。不便極まりなく苛立つ数カ月でした。最近は息子一茂氏がスタジアムでなくスタジオで活躍していますが、右半身に麻痺が残る身でありながらもファンの前に登場して明るく振舞う彼の父天才長嶋茂雄。ミスタージャイアンツの偉大さを再認識させられた凡人私の怪我のお話でした。

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脳裏に焼き付くお言葉 [楽]

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人は誰しも印象に残って覚えている言葉・フレーズがひとつやふたつあると思います。
中学の英語の授業中のこと。先生が問題の解答を何人かの生徒を指名して黒板に書かせました。私もそのうちのひとりです。冷静に考えてみれば「この回答はこうなる、なぜならば・・・・」と教えるのが先生のお仕事。自ら教えることなしに、生徒に丸投げするという行為は、自分の職務を放棄する卑しい行為ではないでしょうか。生徒がワンクッション入るので時間も無駄です。私たちが黒板に向かって慣れないチョークで横文字を記している間、先生は高台にある中学校の利点、教室から望める、相模湾、その先に浮かぶ大島でものんびり眺めていたのでしょう。全員が書き終えて席に着くと先生は教室後方窓際から黒板のある前方に歩を進めながら、記されたそれぞれの回答を吟味していました。黒板前に立つと「これを書いたのは誰だ?」と最初に私の回答を指さしながら言ったのです。私は中学入学直後のThis is a pen レベルの時代は英語で100点を取ったことがありますが、日本で生活する人間に英語は不要、日本にくる外国人が日本語を学ぶべきだ、という友人のお父さんの言葉に感銘し、自分が外国に行くことも生涯ないと考え英語に全く興味がなかったので正解であるわけがありません。先生の今日のストレス解消の矢面に立つことを覚悟しました。私が手をあげると「○○か」と私を呼び捨てにしたのです。英語の教師ならミスターぐらいつけろと思いましたが、次に思いがけない言葉が先生の口から発せられました。「○○は年をとってから大成するな」。さらにビンタが日常茶飯事だった先生にしては妙に穏やかで納得したような満足気な表情を浮かべているではありませんか。私が黒板に記した回答のアルファベットは、他のひとの描く文字の縦横3倍以上、黒板を横断するような馬鹿でかい字だったのです。もちろん回答に自信があったから大きな字で書いたわけではありません。後方に座る同級生が裸眼で問題なく読めるようにとの配慮からです。その後、私の珍回答で授業が和やかに展開したのか、回答の悪例として先生の授業進行に貢献したのかの記憶は全くありません。ただ先生のあのひとことが忘れられないのです。私は他人の印象に残るような言葉をこれまでに投げかけたことがあるのでしょうか、私から発せられた人を傷つける言葉を覚えている人は少なからず存在すると思いますが。
ところで還暦はとうにすぎましたが自分自身大成したという自覚がまだありません。いくつになったら大成するのか具体的な数字をあのとき確認しておくべきでした。

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猫のお話し [楽]

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「この娘を飼ったら来年は必ず大学受かるわよ」魔女の言葉の誘惑には勝てず、ある年の瀬、我が家に猫がやってきました。掌にひょっこり座れるほど小さな猫でしたが、私の抱いていた猫に対する常識をことごとく打ち砕く凄い猫だったのです。
当時車のCMで流行っていたケンメリからいただきその娘はメリーと命名されました。父にとって所持金ゼロで建てた(もちろんその分月々のローン支払いは大変だったはずですが)ことが自慢だった私の住む邸宅はアメリカのホームドラマの舞台となるお屋敷のように全館セントラルヒーティング。普段誰も利用していない部屋も含め全部屋、廊下階段も冬でも寒い場所はありませんでした。それが成長を早めたのでしょうか、1,2週間もたたないうちになんとさかりになったのです。異様な声を発する、糞尿をところかまわずする、やりたい放題。さらにセントラルヒーティングでこたつがなかったからでしょうか、猫はこたつでまるくなるなんてとんでもない、ひまさえあれば家じゅうを猛スピードで走りまわっていました。彼女の興味をひくべく私が長い紐をひきずって走りまわっていたことも一因だったのでしょうが。ひとしきり運動するとドテッと廊下に倒れこみ犬のように舌をだしてハアハアと荒い息をするのです。また階段を使用してはいけないと思っていたのか、スパイダーマンのように階段横の壁につめをたてて二階に這い上がっていました。邸宅を売却する際、父はあの壁のせいで査定額がかなり低くなったと嘆いていたのを思いだします。私が1年余り家をあけることになり面倒をみることができなくなるので=メリーにとっては面倒をみてもらったという意識は全くなかったでしょうが=避妊手術のため病院にいったときのことです。魔女の息子の手を借りて小さなゲージに入れて車で病院に向かいました。でも何か恐ろしいことにまきこまれると動物の勘で身の危険を察知したのでしょう。病院に到着する寸前、ゲージの隙間から車内に飛び出したのです。しかし車のドアは開けられないこと、窓だって突き破れないことに気づいた彼女は車内の床からフロントグラス、天井、リアガラスとぐるぐるとものすごい形相で走り続けたのです。車内には彼女の毛が無数に舞っていました。当時YouTubeが存在すればその映像だけでも相当稼げたに違いありません。もちろんその日の手術は断念。帰宅後、彼女も慣れない狭い空間で運動したことにより心身ともに疲れたのでしょうか、一昼夜ベッドの下に隠れたまま私の前に姿を現しませんでした。そんな彼女ですが、私が1年あまりいなくなった当初、父が私を追い出したのだと思ったらしく父に歯をむいて威嚇したり、爪をたてて攻撃したりしていたそうです。もっとも1年後帰宅した際は、背中の毛を逆立てて私を警戒していましたが。きっと忘れたのでしょう。
そのメリーは結構若くして癌で他界。魔女も昨年93歳で旅立ちました。今頃魔女の膝の上でゴロゴロと喉をならしながら魔女の囁きを聴いているのかもしれません。「貴女を飼ったからって大学に受かるわけないじゃないねえ、甘いわよね貴女の飼い主さん」

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安倍首相、リタイヤする勇気を ! [何か変]

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安倍首相が日帰り検診を受けたとニュースになっています。首相在任日数を更新し続ける安倍首相。これまではご自身が関わる様々な問題=どれもいまだ真相は藪の中のようですが=でご苦労されてきましたが、今年の春先からはコロナ対策で重責を担い心身ともに本当にお疲れなのだと推察します。健康面を理由にここで職務を投げだしたら、お身内からも非難されてしまう、ここはもうひと踏ん張り国民のために頑張らねばいけないと思っているのかもしれません。しかし、安倍さんには好意的ではなかった私としても、もし本当に健康面で問題があるなら後任にその座を譲ってゆっくり養生してくださいとお伝えしたい。自民党には数百人の議員さんがいらっしゃるわけだから、票を金で買うような人や、自らが主導権を握る国策案件の関係会社にどっぷり浸かっている人ばかりではないと思います。この国のために身を粉にして日々邁進したいと思っている人もいると思います、いや思いたい。どうぞその方に後はお任せしていただければと。それとも今は首相なんてやりたくない、当面は安倍首相に任せてコロナ終息の見通しが立った暁には、その座をいただきますとお考えの方ばかりなのでしょうか。
野党はひとつにまとまる気配も気概もないようだし、当分この国の舵取りは自民党しかできないようです。安倍首相、後任を安倍さん自ら堂々と指名してお休みください。
あなたの名は駅名として残り続けるのですから。
https://iamreallyangly.blog.ss-blog.jp/2018-06-11


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二軒のたべもの屋さん [楽]

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どちらもコロナ禍になる数年前のことです。
久しぶりに新橋で飲みました。友人との約束の時間まで烏森口周辺の飲み屋街を歩いてみてびっくりしました。立ち飲み屋の多いこと多いこと多いこと。サラリーマンのメッカと称される街ですから親父ばかりかと思いきや、イタリアンやフレンチの立ち飲みチェーンが急成長していた時期だからでしょうか若い女性が目立ったのです。会社や上司、部下への不満の声などとても聴こえてきそうにない雰囲気でした。友人が連れて行ってくれた店はレンガ通りを少し入ったところにある駅周辺の喧噪がうそのような路地にある小料理屋。和服の似合うふくよかなおかみさんと、カウンターの向こう側で黙々と調理する細身のご主人だけのカウンターのみの小さなお店でした。ワイン通のおかみさんとのことでワインの品ぞろえも充実していましたが、私は東北三県の「ひやおろし」を飲み比べさせてもらうことに。友人と西側に知られてはまずい話をしているときは決して割って入ることもなく、おかみさんはご主人と小声で会話し、くだけた内容のときはおふたりの体験談でさりげなく会話に参加してくれます。たらふく飲んで食べて話して時間はあっという間に経過。花金でもなかったので閉店まではいられませんでしたが、店の外に出て見送ってくれたご主人から名刺をいただきました。お店の名前はご主人とおかみさんの名から一文字ずつとったに違いありません。立ち飲みもいいのでしょうが、やっぱり座って声を張り上げることなく会話を楽しめるお店には敵いだろうと思いました。
週末の日中はどこもかしこも人と車で溢れる鎌倉ですが、午後8時となると駅からちょっと離れた幹線通りでも人とすれ違うことは稀です。まして日曜の夜には車だってあまり走っていません。奥さんの誕生会を催したのは駅から離れたスペイン料理屋でした。スペイン料理といえばパエーリャとかガスパチョが目に浮かびますが、その店はスペイン北部バスク地方の郷土料理が主体。最近人気のバルのようなお手軽価格、お手軽料理というわけでもありません。店内も整然としていて落ち着いています。現地のレストランで修業を積んだ若いオーナーシェフの振るう料理はどれもこれまで経験したことのない食感と味わいで感動の連続。CAVAで乾杯したスタート時間が遅かったので、締めのしょうがのグラニテが供される頃には客は私たち家族だけ。私たちのテーブルとは少し離れたカウンターの向こうにいるシェフにスペイン料理に魅了された理由などを尋ねていたのですが、彼がなんと地元出身、我が子たちの中学の先輩と知って会話は一気に盛り上がりました。なぜ鎌倉で店をたずねると「自分の地元で地元のお客さんに自分が感動した料理を食べて欲しかった」との答えが。
当時はまだ開店して3年、ランチなし、観光客を頼りにしないレストラン経営は大変に違いありません。彼の料理を目当てに世界中からグルメが押し寄せる日まで、地元出身シェフの営む店を応援することは私たち地元民の責務だと痛感した夜でしたが。コロナの影響でしょう、この夏、閉店となりました。でも来年初旬を目途に鎌倉の別の場所でのオープンする準備中とのこと。今度こそ応援し続けないと思った次第です。一方新橋のお店は、都の要請による営業自粛期間を経て、アクリル板なども設置し「感染防止徹底宣言」ステッカーも習得、営業を続けています。こちらもぜひまた伺いたい。その日が1日も早くくることを祈ります。

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函館の女(ひと) [ほっこり]

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彼女と出会ったのは時代が平成に替わって間もない頃のこと。函館の旧英国領事館の中でした。彼女のような生き方をした女性の存在を私はそれまで知らなかったので頭の片隅に彼女のことがしっかりと刻まれたことはいうまでもありません。そのときは何事もなく別れたのですが、数年後、名前もうろ覚えでしかなかった彼女のことを私はなぜか突然思い出したのです。私は彼女のすべてを無性に知りたくなり必死に探しました。そしてようやく見つけ出し再会することができたのです。
彼女の名前は堀川トネ。古臭い名前です。当然でしょう彼女が生まれたのは江戸時代末期なので。函館で生まれ育った彼女は女学校へ入学するため12歳のとき函館から単身上京しました。選ばれて東京の女学校へきたのものの体を壊したため卒業することなく函館へ逆戻り。そのときすでにこれからの日本は女性でも英語力が必要と考えていたのでしょうか将来英語塾を開くと決心しました。しかし教師として招かれていた英国人ジョン・ミルンと知り合い彼女の人生は大きく転換したといえるでしょう。ミルンは後に帝大(現東大)の名誉教授にもなった日本の地震学の父ともいわれる人物。その彼とトネは結ばれたのですが、トネは寺の住職の娘、ミルンはキリスト教徒、今の世の中でもみなさんの祝福を受けてとはならないはず、まして明治時代のことですから障害は並大抵ではなかったに違いありません。でも自らの意思を貫き通して結婚したことから日本で初めて外国人と恋愛結婚した女性ともいわれているそうです。そして彼女が35歳のとき英国ワイト島に移住、その後20年あまり地震・地質の研究に取り組む彼をサポートし続けました。彼の没後も6年間彼女は帰国することなく二人の想い出が浸透したワイト島の地でひとり過ごしたのです。彼女が再び函館に戻ってきたのは函館を離れてから四半世紀以上経た後のこと。その6年後彼女は夫ミルンの待つ天国へ旅立ちました。これが彼女の人生のあらましです。私が彼女に惹かれた理由、美人だったのか可愛かったのかは旧英国領事館の資料室に残された写真からでは判断できないので、時代の風潮や周囲の声に惑わされることなく自分の信念を貫ける強い心の持ち主だったというところでしょうか。
彼女との再会は本を通してでした。彼女の一生を綴った「女の海溝」という本が出版されていることを突き止めたのです。でもすでに絶版になっており出版元に在庫は皆無、中古市場でようやく入手できました。しかしこの本が分厚い上に字がものすごく小さい、原稿用紙千枚を優に超える大作ではないでしょうか。彼女が私の手元にきて10年以上は経っていますがいまだに読了とはなっていません。それどころか読んだのは最初の数ページ、まだミルンにも出会っていないのです。彼女をハワイやイギリス、フランスにも連れていってあげているのに。そう簡単にはすべてを露にしてくれそうにありません。ステイホームのこの夏の間に読破を目指しますか・・・。

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パンダと鼠 [何か変]

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性格がねじ曲がっているのでしょうか、私は成長したパンダを可愛いとは思ったことがありません。
上野動物園にパンダがくるとなればマスコミも大騒ぎ。観覧が始まれば子供たちが列をつくって順番を待ちます。ワクワクしながら並んでいる子供たちに尋ねたい、本当に可愛いと思っている?大人たちが大騒ぎしているからお付き合いしているのでは?そのパンダどこから来たか知っている?私は手の届かない檻の中で妙な格好で座り笹をムシャムシャ食べているから愛くるしい動物だと思い込んでいるだけなのだと思います。あんな白と黒のどでかい物体が暗がりから飛び出してきたら誰もが腰を抜かすに違いありません。ネズミの国の傘寿を過ぎたネズミやその彼女だってそうです。絵本の中、アニメの中だから可愛いのであって、ネズミの国で人間と変わらない背丈で、頭が異様にでかいネズミをみて頬など緩みません。子供が小さい頃、ネズミの国のレストランで食事中、いきなりネズミの彼女が真横に出現した際は、私は歳を忘れて声を張り上げ泣き出したいほど驚きました。あの頭の大きさは絶対に不気味です。可愛い、綺麗、美しい、素敵、格好いいと感じる基準は人それぞれ異なって当然。自分の奥さん、旦那、彼氏、彼女と、他人のそれを比較検討してみれば納得できるでしょう。痘痕もえくぼ、蓼食う虫も好き好きなのですから。だから私がパンダより普通のクマの方がはるかに可愛いと思うことも、ネズミの国のネズミより、熊本の「くまモン」の方がよっぽど愛嬌があると感じることは異常でも何でもないはずです。
私にとって恐怖すら感じるパンダですが同情すべき点はあります。プライバシーのないことです。交尾の様子まで人間に観察され、その事実がテレビで報道されたり一般紙の社会面に掲載されたりするのですから。パンダの交尾の公表が許されるなら、私としてはネズミの国のネズミが巨大な頭を取り外している姿を勇気あるパパラッチによって公のものとして欲しいです。それはネズミの国という夢の世界を冒涜する反社会的行為になるのでしょうか。着ぐるみの中から普通サイズの人間が抜けだす光景を見て子供たちは何と思うでしょう。ひょっとして大半の子供たちはそんなことは百も承知?夢の世界に浸っているのは現実逃避したい大人だけなのかもしれませんが。

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実録台北公安事情 Part2 [旅]

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私はパスポートケースからパスポートを抜き、差し出した。と、その瞬間! 
彼らが私のパスポートをもっていきなり駆け出すのではなかろうか。彼らは警官に化けた犯罪者集団の一味ではなかろうか。不安が脳裏をよぎる。そうなったら勝ち目はない。小学生の時、運動会の徒競走で、前走者がこけてしばし起き上がれないので、これで今年はビリを免れたと安堵した両親の期待を裏切り、ゴール前で見事にこけた走者に抜き去られ定位置のドンケツになったほどの鈍足の私である。相手は若いし勝ち目はない。私のパスポートは闇ルートで売買されることになるのではないだろうかとの不安にみまわれた。しかし、彼らは走りださない。パスポートの私の写真と、実物とを交互に見て比較検討している。私に目をむけたとき、にっこり微笑んでやろうかとも思ったが、それも躊躇した。次の彼らの要求は「エアルチッケト」だった。エアーチケット、つまり航空券のことだろう。私を不法滞在者とでも思ったのだろうか。事態はあまり楽観視されない状況のようである。ドッカーンも意味のない微笑も躊躇したことは正しい選択だった。バスの列に並ぶ人たちから放たれる視線は奇妙ではなく犯罪者をみるような冷たい視線に変化している。私たちは同じ肌の色をしているではないか、過去のわだかまりは消して両国発展のためにも、もっと暖かい眼差しで私をみつめて欲しいと願ったがそれは無理な要求のようだった。だが喜ぶべきはいつもならホテルの部屋の金庫に入れておくパスポートも航空券もその日に限って持参していたことである。航空券をケースの中で探しながら私は考えた。彼らの狙いは航空券だったのか。これを持って走りだし、金券ショップに持ちこもうという魂胆かもしれない。私は再び猜疑心に襲われた。おそるおそる航空券を差し出す。内容を確認している様子である。沈黙は続いた。外気を目前にしているものの私たちの立つターミナル内をとおる風はない。例によって妙な汗もでてきた。いきなり手錠でもかけられたらどうしよう。日本語のわかる警察官は署に戻ればいるのだろうか。一生台湾から出国できなくなるのでは。異国の地は人を予想外に不安にさせる。でも私は何もしていない。日本からの逃亡者ではない。テロリストでもない。善良な一社会人である。やがて私にパスポートと航空券が差し出された。無罪放免のようである。真の犯罪者に私のパスポートと航空券が奪われないように見守ってくれていたのだろうか、私がしっかりとそれらをアタッシュケースに収めるのを見届けた後、彼らは「グッバイ」とぎこちない笑みを残して埃っぽいターミナルの中へ消えていった。
列に並ぶ人たちは何事もなかったかのように新聞をひろげたり、おしゃべりをしたり、私に無関心を装っていた。時間にして5,6分のことではあるが、警官に呼びとめられるだけで人はこれほど緊張するものなのかと実感した。現地に駐在する日本人スタッフにこの話をすると「3年いるけど、そんな経験一度もないよ、よっぽど怪しかったんじゃない」と大笑いされた。しかし、彼らは制服を着てはいたが本当に警官だったのか。ただのコスプレマニア?真実はいまだわからない。

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実録台北公安事情 Part 1 [旅]

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台北のタクシー料金は安い。しかし私は時間的に余裕があることを理由に、異邦人にとってありがたいその権利を放棄してしまった。それが異国での悪夢につながったのである。
数年前のこと。私はホテルから徒歩で台湾の鉄道の要、台北駅前近くにある訪問先を目指した。台北は不思議な街である。洒落たファッションビルがあるかと思えば、その横の路地を少し入ると、道端に無造作に置かれた木製の椅子に体格のいいオヤジさんがランニングに単パン姿で何をするでもなくすわっている。路地を抜けて別の通りにでると日本の地方都市にあるような商店街に出くわす。小さなレコード店、陶器店、店先に毛をむしられた豚がぶらさがる肉屋など、私の歩く速度はどうしたって遅くなる。約束の時間に遅れないよう、自分の方向感覚と時折建物の間から見える訪問先近くある高層ビルを頼りに歩いた。やがて黄色いタクシーや、カラーリングに統一性がないように思われるバスが激しく行き交う駅前のバスターミナルに到着。そこを横切ることは訪問先への最短ルートと判断し、ターミナル内に入った。その中は排気ガスで空気は澱み、さらに埃っぽく風も通らず蒸し暑い。台湾各地への中距離バスの発着だったのだろう。年代ものの英国製総皮革アタッシュケースを片手に歩く私は、大きなバッグや荷物をもち、バスの到着を待つ列に並ぶ人たちの奇妙な視線を感じずにはいられなかった。ターミナルを抜け再び外気に触れられると思った瞬間、私の行く手に帽子をかぶった二人の制服姿の男が立ちはだかったのである。学生ではない。郵便屋さんでもない。もちろん野球選手でもない。医者でも銀行員でもないこともすぐにわかった。(もしかすると警官)私は思った。私に何か言っているのだが私はわからない。「 I can’t speak Chinese」というと、相手の二人は顔を見合せ何かいいあった後、私のアタッシュケースを指差し何かいった。英語のようでもあり日本語のようでもある。英語だとしたら発音が悪い。私よりもひどいかもしれない。どうやら「それを開けろ、オープン」といっているようだった。私はしゃがみこみ、膝の上でケースを開けることにした。開けた瞬間『ドッカーン』といって驚かしてやろうかとも思ったが、彼らの真剣な表情からして冗談が通じなかった時のことを考え無言で開けた。ケースを開け彼らの方に向けてみせると、またしても二人で何やら話した後に、「パスポルト」と言った。パスポートを見せろということだろう。こちらも察しはつくが、少なくとも海外からのゲストに向かっていうなら「パスポートを見せてください」程度の柔らかい表現はできないのかと腹がたってきた。
私はパスポートケースからパスポートを抜き、差し出した。と、その瞬間! つづく

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パリの高級時計店にて 脱出編 [旅]

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売り子さんは最初英語で話しかけてきたが、睦美嬢が英語で応えることなく流暢なフランス語で対応したので、その後の交渉はフランス語で進んだ。マネージャーは売り子さんの少し後方に立ち、彼女の接客の様子をチェックしているようだ。彼女のボーナスの査定に影響があるのだろうか。それとも私たちがブレゲの時計を販売するに相応しい人物かを鑑定しているのかもしれない。睦美嬢が売り子さんに私の探している品名を告げる。睦美嬢の左手はエルメスの存在を知らしめるかのようにいまだに不自然に顎の下あたりにあった。私は社長からプリントアウトされた商品リストを渡され「この時計の価格を」と依頼されていたので、その時計の品番、シリーズ名を暗記するとともに、その時計のデザイン、面構えまでしっかりと脳裏に叩き込んで日本を発っており、品番も睦美嬢に伝えておいたのだ。売り子さんは私たちのすぐ左手、入口に一番近い小さなショーウインドウの前に進み、中の品物が希望の商品であるといった。私の上着のポケットには折りたたまれたその商品リストがあるが、この場でそれを引っ張りだして照らし合わせるわけにもいかない。しかしショーウインドウの中では間違いなく社長の望みの代物が時を刻んでいた。価格は表示されていなかったが。『これだこれだ』という顔を私がすると売り子さんは、これで一丁あがりと思ったのだろうか時計の大きさはどのぐらいがいいのかと質問を投げかけてきたのである。私は掛け時計を探しているのではなく、この腕時計が欲しいのだ。何をとぼけたことをいっているのかと思ったが、睦美嬢の通訳によれば、時計の文字盤には使用する人の手の大きさに合うようにいくつかのサイズが用意されているようなのだ。さすが高級品は肌理が細かい。睦美嬢はさらに私たちに日本語で一言つぶやいた「彼女フランス人じゃないね」。独特の訛りがでてしまったようだ。
売り子さんは私の手のサイズを知りたかったのか、東洋人の手にただ触れたかったか、私に手を差し出すようなそぶりをみせた。しかし時計を使用するのは私ではない。私は頼まれて調査にきただけ。日本のディスカウントショップとの間に大きな価格差があれば購入すべしとの指令をうけたにすぎないのだ。しかしこの段階でも店側は、商品をショーウインドウから取り出すそぶりがまったくない。飾り窓のようにウインドウ越しに品物を見て選べということか。価格をたずねるとマネージャーがようやく表舞台に登場し、私たちを奥の別室へ誘導するように売り子さんに告げた。睦美嬢の顔色が変化する。そして日本語で囁いた「奥に通されると購入しなくてはならない状況になる危険性があるよ」。長居は無用、謎の東洋人ご一行は速やかに退店することにしたのである。

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