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披露宴の非常識 [何か変]

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“会食は4人以下で” 再び厳しい御触れが発出される状況下、今年予定していた華やかな披露宴を延期したカップルも多いはずです。しかし来年になっても多くの人が集まり、飲めや歌えの大騒ぎになる可能性を秘めた披露宴を催すことができるかどうか。コロナ禍で不安を抱くうちにお互い我に返ってしまい、“この人が本当にベストなの?”と、別離を選択するカップルだって生まれているかもしれません。
さて、その結婚披露宴での来賓スピーチ、いったい何分ぐらいが適当なのでしょうか。もちろん内容が重要なわけですが、いくらなんでも30分は不適切といわれても仕方ないでしょう。私の披露宴ではそれを実践してくれた人がいたのです。その人は妻の実家のお店にくるお客さん。○○中学校の元校長と司会者に紹介されてマイクを握った彼はまず自分が元校長ではなく一教員であったことを説明したのです。真実を述べる謙虚な方だと思ったのですが大間違いでした。一億円を貯めた自慢話をはじめた彼、やがてズボンの両ポケットに手を突っ込み、体勢はそっくりかえり、しゃべり続けたのです。彼を招きスピーチを依頼した義父の顔も徐々に怒りの表情になっていきました。最初はしばらくの辛抱と考え耳を傾ける様子をみせていた出席者も次第に呆れて場内は異様な雰囲気に。やがてトイレや、外で一服と中座し、会場内は空席が目立っていったのです。それでもお構いなしの元教員、延々30分話し続けたのでした。さらに式後しばらくして出来上がった親族集合写真をみてまたまたビックリ。親戚でもない元教員、最前列に座って写っているではありませんか。でもその元教員、式後一度として義父のお店に顔を見せることはなかったそうですが。
そうした呆れた出来事も私たちにとっては披露宴の想い出です。マスク会食、短時間での会食、会話はなるべく控える、会食を終えたら速やかに解散、そんな披露宴はきっと楽しくないでしょう。何十年後かに、夫婦にとって忘れられない披露宴だったと思い返すことができればいいのですが。

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クラウン生産中止 [くるま]

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“いつかはクラウン”と思っている方は急いだ方がいいかもしれません。メーカーからの正式発表はまだないようですが、トヨタの主力モデルであるクラウンが生産中止になるとの報道がありました。
私が生まれて間もなく発売開始された初代トヨペットクラウン。65年の歳月を経て現行モデルは15代目だそうです。昔はタクシーといえばクラウンかセドリック。我が家に車はなかったので、両車いずれもモデルチェンジされるたびに駅頭で新車のタクシーに遭遇すること、たまにそれに乗車することが私の子供の頃の楽しみでした。自動車学校の教習車も昔はほとんどがクラウン。私もクラウンのハンドルを握り、怖い先生のご指導を受け免許を取得しました。路上講習の際、直線の広い一般道で80km/hだしたらさすがに「ちょっと出しすぎ」と教官側にある非常ブレーキを踏まれたことも。緩い時代でした。名優山村聡さんを長年CMに登場させ高級車クラウンを印象付けていましたが、“いつかはクラウン”のコピーも山村聡さんの時代に生まれたと記憶しています。免許取得後、私は日産車一筋。トヨタの車を所有することなど考えたこともありませんが、うまいことをいうなとそのコピーに妙に共感したことを覚えています。最近はセンチュリーがお気に入りのような全国の知事さんを含め、かつては一般企業の重役、官庁のお偉いさんの大半が黒塗りのクラウンのお世話になっていました。最近はそんな皆さんも移動の際にらくちんな大きなワンボックスを利用するようになり、タクシーにも専用モデルが登場、さらにユーザーのセダン離れもあり販売台数は低迷していたのでしょう。今回の生産中止報道も時代の流れ、止むを得ないことなのかもしれません。
トヨタからは現存していたらちょっと立場がなかったかもしれないコロナ、日産ではセドリック、ブルーバード、サニーがすでにラインアップから姿を消しました。昭和の街を彩った車たちが少なくなる中、クラウンまでも。いつかはクラウンなどと思ったこともない私でもちょっと寂しい気がします。昭和がどんどん小さくなっていくようで。

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哀愁の御茶ノ水  [ほっこり]

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40数年前、私は大学受験をひかえた高校生でした。現役合格を目指していたものの私が受験勉強を始めたのは高校3年生の冬。入試まで1カ月余りしかない正月あけのことです。成績優秀であるがゆえの余裕からスロースターターを決め込んだのでも、大学受験をなめていたわけでもありません。私には私なりの勝算があったのです。
私が受けた大学は英語、国語、選択科目3教科で300点満点でしたが、過去の事例から私は185点を当確ラインと分析しました。日本人なのだから国語は読解できて当たり前。本も新聞も人並みに読んでいたので漢字の読み書きの勉強も不要だし、古文漢文が出題されたとしても配点は二20点に満たないはず。自分勝手な解釈で国語は何もしないでも65点は楽勝と考えたのです。選択科目は私の得意とする記憶力を活かせる日本史とし、受験勉強はそれに集中しました。実際、日本史に関しては練習問題をやっても結果はほぼ完璧。満点は無理として最悪でも90点は固いと考えました。これで155点をゲット。あと英語で30点とれれば合格という計算です。アクセント問題や記号で答える問題もあるので可能性は大であろうと私は考えていました。しかし高校1年生の時、100点満点のテストを真剣にやってひと桁の点しかとれなかったこともある私に英語で30点とることは相当ハードルが高かったようです。合格発表を待たずとも結果は明白でした。
最後の受験校の入試を終えた日。他の受験生よりひと足早く教室を後にすると、外には朝方より冷たい風が吹いていました。空一面を覆う重苦しい鉛色の雲。そんな中、私は御茶ノ水駅に向かってとぼとぼと歩きました。駅まであとわずかとなった頃、通り沿いのレコード屋からなんとももの悲しげな声の歌が舗道を歩く私の耳に聞こえてきたのです。それが誰の何という曲であるかということは、受験勉強時にラジオを友としていた私にはすぐにわかりました。私はその声に導かれるようにレコード屋に吸い込まれて行き、そのレコードを思わず購入してしまったのです。高校時代の友人たちはすでに合格が決まっていたので、「あー、これから浪人生。1年間ひとりぼっちか、長いなあ」と私は思っていました。精神的にもかなり落ち込んでいる寂しい時なのになぜこんなレコード買ってしまったのか、もっと景気のいい元気の出る曲を買わなかったのか、私はマゾか、受け取ったレコードをカバンにしまいながら私は自分を責めていました。レコード屋の外に出ると空から白いものが・・・・・
今でも時折ラジオから聞こえてくるレターメンの「LOVE」。あの声、旋律を耳にするたびに、私はあの日のことを思い出すのです。

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とりあえず箱根 seasonⅢ [旅]

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日曜日早起きして箱根に行った。こんなご時世だけど紅葉を見ようと思ったのだ。ルートは例によって134号線、西湘バイパス、そしてターンパイク。6時に家を出れば渋滞もない。7時半にはターンパイク終点大観山パーキングエリア(PA)に到着した。下界は朝方曇天だったが、大観山に近づくにつれターンパイクお馴染みの濃霧。ヘッドライトを点けないと対向車に気づかれそうにない状態だ。といっても対向車なんかほとんどなかったのだが。
まだ8時前だというのに大観山のPAには車が結構停車していた。それも当方の乗っている大衆車ではない。ポルシェ、GTRといった絶対にターンパイクを法定速度遵守で走るような車ではないものばかり。それも1台2台単位ではない。しかし愛好者のツーリングでもなさそうだった。皆、自分の車を誇らしげに眺め、同一車種に乗るドライバーと語らっている。トイレ休憩に向かう途中、あるドライバーの横を歩いていたら彼が隣のドライバーに「汚れちゃったから帰ったら磨かなきゃ」と言っていた。私の見る限り私の車より遥かにピカピカだった。徒歩でパーキングエリア併設の見晴らし台に向かう途中初代フェアレディを見つけた。おっさんが乗っている。半世紀は経ている車だ。箱根の峠をこんな旧車で攻めるとは勇気あるおっさんだと思った。いや車そのものが優秀なのだろう。さすがかつての技術の日産の代表車。やっちゃたね日産の現代とは質が違うのだろう。見晴らし台につくと眼下の芦ノ湖の向こうの山にかかる雲の上からちょうど富士山が頭を出し始めていた。ただの山なのだが美しい富士山を見ると何か得をした気がするのは私だけだろうか。その後先日故障して途中で停まったという駒ケ岳ロープウエーにひやひやしながら乗り箱根神社の奥宮である箱根元宮を参拝。下山後は箱根プリンスでブランチと、とりあえず箱根慣例である西武鉄道グループへの奉納をしこたましてきた。昼過ぎには帰路についたが、反対車線は大渋滞。湖畔の箱根神社駐車場入口を先頭に元箱根まで延々と。だらだら渋滞ではない、駐車場が空かなければ動けないので完全に停滞である。ターンパイクに向かうため元箱根を左折すると、そこからさらに渋滞は続く。元箱根を通る幹線に出るには信号があるが、幹線そのものが停滞しているので、ターンパイク方面から下山してくる車は信号が変わっても1、2台しか幹線に合流できない。みなさんもっと早起きしていらっしゃいと言ってやりたかった。その渋滞のなかほどになんとフェラーリの集団が。3年分のフェラーリを数分で見た気がした。設計者も想定しないであろう渋滞にはまってオーバーヒートでもしなければいいのにと心配してやった。しかしあれほど高価なフェラーリがあれだけ売れている、買う人がいることにあらためて驚いた。生業は何なのかひとりひとりに尋ねてみたい気もした。
こちらは反対の渋滞停滞を尻目にスイスイ走って帰ってきたが、今日のとりあえず箱根の目的である紅葉はというと、4-5日行くのが早かったかも? でも私としては存分に富士山も拝めたし、高性能も宝の持ち腐れ状態の渋滞にはまるフェラーリもまとめてみることができたので満足である。

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ポップコーン カムバック! [楽]

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「サウンド・オブ・ミュージック」さえ見たことがないほどミュージカル映画を敬遠していた私ですが、かつて立て続けにミュージカル映画を鑑賞した時期があります。
1本目は「シェルブールの雨傘」です。これは事故のようなもの。というのも私はあのもの悲しいテーマ曲はもちろん、カトリーヌ・ドヌーヴ主演のその映画のことは知っていましたが、それがミュージカルだとは本編が始まるまで知らなかったのですから。半分ぐらいは普通の会話があるのかと思っていたら、家庭内や外出時、接客中(ドヌーヴは傘屋の娘役)などにかかわらず最初から最後まで唄で表現され会話は皆無。さらにストーリーも乱暴極まりない展開で驚きました。結婚を夢見て愛し合っていたドヌーヴと彼氏、ある日彼の元に召集令状が届き彼は戦場に、ところがしばらくすると彼女のお腹に彼の子がいることが判明したのです。日本女性なら彼女は彼の子を生み、ひとりで育て、彼の復員をじっと待つという設定が自然でしょう。ところが貴方がいなくなったら私も死ぬとまでいっていたドヌーヴ、彼が前線に出向いて半年も経たないうちに他の優しいお金持ちと結婚してしまうのです。もちろん彼女自身の心の中で葛藤はありましたが、結論は彼の帰還を待つこともなく、元彼の子を自分たちの子として育てようというお金持ちの言葉を信じてお国のために戦っていた彼を捨てたわけです。当時二十歳そこそこだったカトリーヌ・ドヌーヴの美しさとテーマ曲であの映画は大ヒットしたのでしょう。もう1本はミュージカルであることを承知の上で観た「マンマ・ミーア」。ABBAのヒット曲で構成された映画です。こちらも彼と別れた後に子供を産んだ母親が主人公。ドヌーヴとは異なり他の男性とも結婚せずに女手ひとりで娘を育てた母親ですが、彼と別れた直後の短期間に複数の男性と情熱的な恋愛をしたことを記していた日記を娘が発見、自分の結婚式に父親候補を招き本当の父親捜しの場にするというお話です。熱い太陽の照りつける紺碧のエーゲ海に浮かぶ島を舞台としているためか湿ったところは全く無し。音楽は耳慣れた懐かしいものばかり、加えて半分ぐらいは普通の会話、ありえないようなハッピーエンドでしたがとても面白かったです。ミュージカル映画もたまにはいいかなと思わせてくれる映画でした。でもどちらの作品もテレビで日本語の吹き替え版を放映することは無理でしょう。まったく異なった雰囲気の作品になってしまうに違いありませんから。
私は映画通でもなく、テレビで大々的にスポット広告を流すような大作・話題作ではない、自分が気になる映画を年に数回観る程度です。でも今年はコロナの影響もあり映画館とは全く無縁。鬼滅の刃が大ヒットしているようですが、そのうちテレビでやるでしょうと、あえて配給会社に貢献するつもりもありません。といって他にそそられるミュージカル映画?もなく、それに今は映画館に行ってもポップコーン食べながらの鑑賞は不可とか。館内で飲食自由になるまで大型スクリーンでの映画鑑賞はお預けのようです。

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270の壁 [何か変]

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投票はしたけれど選挙結果がすぐには判明しない。いつになるかも不透明。選挙制度が初めて導入された新興国の出来事ではありません。大国アメリカのお話し。信じ難いですが現実のようです。
信じられないこと不思議に思うことは他にもあります。トランプ大統領はコロナ感染から復帰後、精力的に全米各地を訪れ選挙活動をしていました。その移動に使われていたのが大統領専用機。国務ではなく自分自身の遊説の足として専用機を使用することをアメリカ国民は疑問に思わないのでしょうか。大統領の特権として専用機の使途は問わないことになっているのかもしれませんが。さらに2週間も3週間も現職大統領が選挙活動に没頭していても、国はちゃんと機能しているということも謎です。だったら大統領なんかいらないのでは。ただ世界にアピールする国の顔を選んでいるだけなのでしょうか。核兵器発射ボタンを押す人を国民みんなで決めているだけ? 被選挙人が開票作業に不正があった、郵便投票には不正がある、選挙そのものを否定するような発言を公然とする。そんな状態での選挙をアメリカ国民はどう考えているのでしょう。自由の国だから何人たりとも、大統領だって何を言っても何を語っても許されるということ? IT先進国といわれていても実にシンプルな投票による決めごとすらスムースにできない現実、不思議でなりません。
日本では衆院選や参院選でも、投票日の深夜には開票をほぼ終え、大勢が判明します。アメリカに比べ規模が小さいからだといわれればそれまでですが、開票作業において日本は優れているなあとあらためて感心させられました。もっとも開票作業に不正が行われるなんて考えたこともなかったですが。もしかすると疑うことを知らない純真な国民を利用して、いつも筋書きに沿った選挙結果になっているのだとしたら・・・・・。

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ウイスキーもお好きでしょ [楽]

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北方謙三、逢坂剛、大沢在昌をはじめとする多くのハードボイルド、ミステリー作家たちがその作品の中に登場させ、時としてストーリーの展開に重要な役割を果たしてきたウイスキー。一時は人気に陰りがみえたものの、ハイボールブームの再来でちょっとは復権してきたのカナ?
日本におけるウイスキー消費のピークは80年代前半。70年代後半から各地に居酒屋が出現しはじめ、80年代に入ると若い女性たちからの支持をえたカフェバーが登場、さらにワインブームまで到来し、ウイスキーには強烈な向かい風となってしまったようです。居酒屋ではチュウーハイ、カフェバーではカラフルなカクテルなどが人気となり、ウイスキーはオヤジの飲みものという定説が生まれてしまったこともその当時衰退の一因ともいわれました。しかし2010年前後から、サントリーが小雪、菅野美穂、井川遥など有名女優を登用したCMを放映するなど、積極的なハイボールのキャンペーンを展開。それが功を奏してブームに火が付き、いまやすっかり定着したようです。でも、ソーダで割らずにウイスキーそのものの香りを愉しむ若者が今どれほどいるでしょうか。若者だけじゃない、オヤジも含めて。70年代、ボトル1本1万円もして、海外旅行のお土産として頂戴すると、しばらくは封も切らずに居間の目立つ場所に飾られていたスコッチが、2千円札1枚でもおつりがくる価格で手に入る今のご時世。そんな高価だったウイスキーをソーダなんかで割るなよ、わかってないなと思うとともに、当時の価格はなんだったんだろう、もともと格好つけて飲むような酒ではなく、どんな飲み方しようがお構いなしのお酒だったの、とウイスキーと半世紀近く付き合っている高齢者は思うのですが。今夜はグラスの中で踊る氷の音と、窓の外に見える満月に近い月でも眺めながらウイスキーを楽しむとしましょう。昔も今も居間の目立つ場所に飾られることもない廉価な国産ウイスキーですが。
ところで先月からテレビ東京で「共演NG」というドラマが始まっています。この番組のスポンサー、キリンとサントリー、いや、サントリーとキリンでした。どっちが正解?お酒メーカー2社の共演、NGではなかったのと話題になっています。
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プロ野球選手がForbes長者番付上位にランクインする可能性を考察する [楽]

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新型コロナの影響で開幕も遅れ試合数も減ったペナントレースも終わりが近づいています。今年は偶然にもセパ両リーグとも、テレビ画面を通してですがリーグ優勝の瞬間にリアルタイムで立ち会うことができみました。パリーグは今年もクライマックスシリーズがあるようで、リーグ優勝チームも10ゲーム以上の大差をつけた2位チームに短期決戦で敗れれば日本シリーズに進めないという理不尽な現実と向き合わなければなりませんが。
昭和30年代から40年代にかけ、プロ野球選手は子供たち憧れの職業でした。大人はおとなで、年俸1000万が一流選手の証といわれたその時代、誰それが超え たとか、他人の懐を推測する新聞記事を羨望とねたみの眼差しで読んでいたに違いありません。野球選手は50年前と変わらず子供たちの憧れの職業、なりたい職業ではいまだに上位に位置しています。しかし全体に対する比率は大幅に減少しているに違いありません。年俸2億3億稼ぐ野球選手はかなりいるでしょうが、IT時代の寵児たちをはじめ、スポーツではない世界で若くして億単位の稼ぎをあげる人が珍しくない時代。日本シリーズを制し歓喜のビールかけをした数日後には、山ごもりして苦痛の表情でトレーニングする選手をみたら、興ざめする子供が多いのではないでしょうか。シーズンオフにバラエティ番組に登場してアイドルたちとおちゃらける選手をみて憧れる子供はいるかもしれませんが。スターといわれるほどの選手ならシーズンオフはマスコミも追っかけてこられないカリブ海の別荘でのんびりすごすとか、バットを銃に持ち替えスコットランドで狩りに興じるとか、一般人がかなえられそうにないことを平然とやってのけて欲しいものです。日本の球界にいては年俸の桁が少なくてとても不可能なこと? であるなら球団を経営する側が、球団にたくさんのお金が転がり込むこれまでの常識を打ち破る画期的な施策を講じなければ。きっと何かがあるはずです。打ち出の小槌を最初に発見するのはどの球団でしょう。もちろん私が第一発見者になったら一番高い値をつけた球団に小槌をお譲りしますが。
四角い夜空にむかう薄暗い階段をのぼりつめると、眼前に広がるカクテル光線に照らされた天然芝とグラウンド。そこに点在するスター選手たちを見て感激した私の幼少時代。シーズンオフ突入と同時に自家用ジェットで日本を離れるスター選手を垂涎の眼差しで見る私の老年時代がくることを祈ります。

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年賀状概論 [楽]

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来年の年賀状が発売されました。ブームに便乗して「鬼滅の刃」のイラスト入りも販売されたとか。それでも発行枚数は年々減っていて今回は前年より4億枚少なく19億4000万枚、ピークだった2003年の半分以下だそうです。
私も師走が近づいてくると、年賀状の内容をどうするかで例年頭を悩ませています。年内に年賀状を書くなんておかしい、宛名も文面もすべて印刷なんて失礼だなど、なんだかんだ文句はつけつつもやっぱり年末までに投函しないと正月が迎えられないような気がしてしまうのです。私も数年前までは、文面は印刷でも宛名は住所録とにらめっこしながら相手の方の顔を思い浮かべつつ毛筆(筆ペンですが)で書いていました。しかし、ワープロ、パソコンの普及に抵抗することはできず、静かに筆をおき、便利な宛名ソフトにたよって年賀状の宛名を書くのではなく作成するようになってしまった次第です。もちろん最初は抵抗があり、これなら出さなくもいいのでないかと思いもしましたが、元旦に年賀状を受け取っていただくということに意義があるのではないかと自分を納得させました。「私」が何をしているのかが先方にわからなくてもいい、とにかく「私」は生きているということを、昔お世話になった方々に知っていただく手段として年賀状を活用しようと考えるようにしたのです。宛名を書くことはなくなってしまったのですが、印刷された年賀状をながめながら先方の顔を思い浮かべることは忘れていません。それすらしなくなったらそれこそ日本郵便の売上増加とバイトの学生さんの懐具合を向上させるだけの、私にとって季節の無駄なお仕事となってしまうわけですから。12月になると我が家にも数は多くありませんが海外からクリスマスカードが届きます。こちらも年賀状同様、もらったときに「ああ、まだ生きていてくれた」と思う瞬間が嬉しいのです。こちらがカードを送った相手もきっとそう思っているに違いありません。
例年なら年賀状のデザインで悩むこの時期ですが、今年はその必要がなくなりました。それでもちょっとでも先方の心に響くものにしたいと苦悩している自分がいます。簡素であるべき喪中はがきに本来そんな必要はないことはわかっているのですが。

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そうだ選挙にでよう [楽]

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よその国の大統領がどちらになるのか、連日テレビで報道されています。投票が終わったところで、両候補ともすんなりとその結果を受け入れるとは思えない異常な状況のようですが。海の向こうのこととはいえ、日本とはとても関係の強い国、選挙後にかつての南北戦争、スペインでの市民戦争のような内戦状態にならないことを願うだけです。
ところでこの私、親類縁者に政治家がいたわけではありませんが、小学生の頃からテレビの開票速報が好きで選挙の都度欠かさず観ていました。人の名前と数字の羅列が中心となる番組なのに、時折中継される万歳の歓声で沸く選挙事務所、ただの人となった元代議士の落選の弁などをなぜかワクワクする思いで観ていた記憶があります。選挙オタクというところでしょうか。私は当時すでに私の両親の支持政党を家に届けられる新聞で理解していました。もっともその党の理念と、両親の日々の言動・生活ぶりのギャップに疑問を持っていたことも事実です。代々木に本部を置くその政党、昔は各選挙区でことごとく落選。下位当選者の投票数と比べても2桁は違うダントツの最下位ですから無理もありません。そういう党としての下積時代を知っていたので、70年代初頭に田中内閣が発足した年の総選挙で、その党が一挙に40名近くを当選させたときは、これで日本にようやく夜明けがくるのかと勝手に解釈したのですが・・・。
あれから半世紀、お日様はいまだに沈んだまま。安倍退陣で一時は解散総選挙近しと噂されていましたが、国民のために働いてくれている菅内閣によほどのスキャンダラスな事実が浮上しない限り、当面選挙特番を楽しむことはできそうにない状況です。でもそろそろ選挙特番で万歳をしているところ、マイクを向けられているところ等、映される側にまわってもいいカナと。地元や国のためでなく、自分自身の利益のためだけに活動する腹積もり覚悟は充分できているのですが。今の政治家の皆さんのように。

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