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とりあえず箱根 seasonⅢ [旅]

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日曜日早起きして箱根に行った。こんなご時世だけど紅葉を見ようと思ったのだ。ルートは例によって134号線、西湘バイパス、そしてターンパイク。6時に家を出れば渋滞もない。7時半にはターンパイク終点大観山パーキングエリア(PA)に到着した。下界は朝方曇天だったが、大観山に近づくにつれターンパイクお馴染みの濃霧。ヘッドライトを点けないと対向車に気づかれそうにない状態だ。といっても対向車なんかほとんどなかったのだが。
まだ8時前だというのに大観山のPAには車が結構停車していた。それも当方の乗っている大衆車ではない。ポルシェ、GTRといった絶対にターンパイクを法定速度遵守で走るような車ではないものばかり。それも1台2台単位ではない。しかし愛好者のツーリングでもなさそうだった。皆、自分の車を誇らしげに眺め、同一車種に乗るドライバーと語らっている。トイレ休憩に向かう途中、あるドライバーの横を歩いていたら彼が隣のドライバーに「汚れちゃったから帰ったら磨かなきゃ」と言っていた。私の見る限り私の車より遥かにピカピカだった。徒歩でパーキングエリア併設の見晴らし台に向かう途中初代フェアレディを見つけた。おっさんが乗っている。半世紀は経ている車だ。箱根の峠をこんな旧車で攻めるとは勇気あるおっさんだと思った。いや車そのものが優秀なのだろう。さすがかつての技術の日産の代表車。やっちゃたね日産の現代とは質が違うのだろう。見晴らし台につくと眼下の芦ノ湖の向こうの山にかかる雲の上からちょうど富士山が頭を出し始めていた。ただの山なのだが美しい富士山を見ると何か得をした気がするのは私だけだろうか。その後先日故障して途中で停まったという駒ケ岳ロープウエーにひやひやしながら乗り箱根神社の奥宮である箱根元宮を参拝。下山後は箱根プリンスでブランチと、とりあえず箱根慣例である西武鉄道グループへの奉納をしこたましてきた。昼過ぎには帰路についたが、反対車線は大渋滞。湖畔の箱根神社駐車場入口を先頭に元箱根まで延々と。だらだら渋滞ではない、駐車場が空かなければ動けないので完全に停滞である。ターンパイクに向かうため元箱根を左折すると、そこからさらに渋滞は続く。元箱根を通る幹線に出るには信号があるが、幹線そのものが停滞しているので、ターンパイク方面から下山してくる車は信号が変わっても1、2台しか幹線に合流できない。みなさんもっと早起きしていらっしゃいと言ってやりたかった。その渋滞のなかほどになんとフェラーリの集団が。3年分のフェラーリを数分で見た気がした。設計者も想定しないであろう渋滞にはまってオーバーヒートでもしなければいいのにと心配してやった。しかしあれほど高価なフェラーリがあれだけ売れている、買う人がいることにあらためて驚いた。生業は何なのかひとりひとりに尋ねてみたい気もした。
こちらは反対の渋滞停滞を尻目にスイスイ走って帰ってきたが、今日のとりあえず箱根の目的である紅葉はというと、4-5日行くのが早かったかも? でも私としては存分に富士山も拝めたし、高性能も宝の持ち腐れ状態の渋滞にはまるフェラーリもまとめてみることができたので満足である。

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勝手にシンドバッド [旅]

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コロナ禍で人々が外出を自粛するずっとずっと昔のゴールデンウイーク(GW)の最中、鎌倉の稲村ガ崎から七里ガ浜、腰越を通って江ノ島まで、波打ち際をのんびり歩いたことがありました。中学生の頃は海に向かって石を投げたり、海岸に捨てられた手漕ぎボートで無謀にも川を上り途中で沈没して溺れかけたり、夏でなくとも毎日のように学校帰りに海に行って時間をつぶした記憶があります。結婚してからは子供と一緒に海に行き、キラキラと輝く海面を眺めながら缶ビールを片手に海岸近くのお肉屋さんで調達したコロッケを頬張ったものですが、子供が成人した今では海に行く機会は花火大会のときぐらい。砂浜を歩くことなどほとんどなかったのです。
かつて暴走族が大乱闘を繰り広げた稲村ガ崎から江ノ島に抜ける134号線は、月に何度かは車で走りますが大抵は渋滞。でも冬であろうが窓を全開にして潮風を感じつつ、車中からサーファーを眺め「波もないのに馬鹿じゃないの」とか、浜辺を歩くカップルをみては「今が幸せのピークだよ」、並行して走る満員の江ノ電を見ては「休みの日にラッシュ並みの電車に乗って楽しい?」などと悪意に満ちた言葉を浴びせながら渋滞を楽しんでいます。そんな私も車から見おろしていた砂浜をなぜか無性に歩きたくなったのです。渋る奥さんを連れだって電車とバスを乗り継いで稲村ガ崎へ。その日は江ノ島の向こうに富士山を見ることこそできませんでしたが、風もなく穏やかな晴天。私たちの前には波もほとんどない青く静かな海が大きく広がっていました。何時間も要することなくこの浜に立てる幸せを感じずにはいられません。振り返って134号線を見ればGW中とあっていつもの週末以上の大渋滞でした。車中で「あの二人はこの風景にマッチしない」「入水自殺でもするんじゃないの」と囁かれていようが関係ありません。狭い車の中でつまらない音楽きいてないで、都会じゃ聴けない波の音にじっくり耳を傾けなよ、ゴム草履や裸足で砂浜を歩きなよ、水虫も治るから、その渋滞じゃ目的地に着くのは夕方だねと教えてあげたい気分でした。由比ガ浜や材木座に比べアクセスがあまりよくないせいか浜辺には人も犬もまばら。この辺りの海は急に深くなるので遊泳禁止区域、危険といわれていますが場所によっては遠浅なこと、波打ち際は海に向かって傾斜しているので意外と歩きづらいこと、落ちているゴミが案外少ないこと、いつもは路上・車中から眺めていた海岸を実際に歩いてみるといろいろと発見がありました。腰越付近では波打ち際で甲羅干ししていた小さな亀にも遭遇。すぐ近くにいながら鎌倉入りを許してくれない兄頼朝宛に、心情をせつせつと綴った腰越状を握りしめ涙する義経の姿を若い頃のその亀が見ていたかもしれないと考えると感動ものでした。
腰越漁港で義経も食したであろうシラスを買った後に江ノ島へ。さすがGW、そこは人ヒトひとで溢れかえりまるで原宿の竹下通り状態です。海岸を歩くこととともに当日のミッションだったさざえのつぼ焼きにありつくことは叶わず香りをかいだだけ。浜辺はともかく江ノ島のような観光地へは仕事を休んで平日行くに限ると実感したGWの1日でした。

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ボートンオンザウォーターの惨劇 下巻 [旅]

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携帯灰皿はあきらめるしかない。これを機に煙草をやめればいい。と私は言った。しかし奥さんはあきらめない。靴も靴下も脱いで川に入れば容易に取ることができることはわかっている。しかし灰皿ごときをとるために私がそんなことをする必要もない。まして川に入り込んでいる私を住人に見つけられたら、東洋人が鴨を生け捕りにしようとしていると通報され、駆け付けた警官に逮捕されて国際問題に発展する可能性もある。私はもうこれ以上何もしませんよという意思表示をした。すると奥さんは少し下流に行き川べりにしゃがみこんだ。どうやら川の中に手を突っ込み流れてくる灰皿をキャッチするつもりのようである。川べりの舗道と川の間は少し傾斜しているので安定が悪い。奥さんは片手を差し出し私におさえていてという。どうやらバランスを崩して川に転落することを防ぎたいようだ。それとも川に落ちるときは道連れにしてやるという魂胆だろうか。差し出してくる手を払いのけ、しゃがんでいる奥さんを軽く足でければ彼女だけ川に転落させることもできる。そうなればかつての三浦某氏のように妻殺しの嫌疑をかけられ帰国後はマスコミに追い回される日々が続くのか、犯行がばれなければ携帯灰皿を拾おうとして転落したなどと言わず、けがをしていた鴨を救おうと手を差し伸べたところバランスを崩した、と作話すれば旅先で妻を失った悲劇のご主人として国民の涙をさそうことになるのだろうか。だが転落しても深させいぜい30センチ。溺れ死ぬこともないし、そうなったとしても巨額の保険金が入るわけでもない。いろいろ妄想しつつ私は奥さんの手をしっかりと握っていた。川の中ほどに流されることもなく、なんとか手の届く川べりに灰皿が流れてきた。これを逃したらあきらめるしかない。絶妙のタイミングで奥さんは川に手を入れた。そして奥さんは大事な携帯灰皿をキャッチしたのである。
私たちは鴨の密猟者として地元警察署で冷たいパンを食べ、生温かい牛乳を飲むこともなく、ホテルで豪華な朝食にありつけることができた。水辺で大事なものを扱うときは細心の注意を払うべきできである。私たちが12年前、銀婚旅行で訪れたボートンオンザウォーターで学んだ教訓である。

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ボートンオンザウォーターの惨劇 上巻 [旅]

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明け方、濡れた路面上を走るような車の音で目がさめた。カーテンの端を少しめくって外を見る。まだ夜中の雰囲気だが午前6時は過ぎていた。オレンジ色の街灯に照らされる道路は確かに濡れている。激しい降りではない。大半のイギリス人なら傘を使用することなく歩くであろう程度の雨である。しかし日本人なら絶対に傘をさす降りだ。今日は朝食後早々にチェックアウトしヒースロー空港に向かい夕方の便でリヨンへ発つ。つまり移動日だ。しかし天候は良いにこしたことはない。慣れないマニュアル車を操り、知らない道を走らなければならないのだから。
朝食前、奥さんの一服につきあって外に出る。奥さんは日本から持ってきた折り畳み傘を手に、私は今回の旅に傘を持参していなかったので手ぶらだった。絶え間なく雨は落ちていたが大粒ではないし、しとしととまでもいかない程度の降り。雨に濡れている気はしないがしばらく歩くと髪や服が湿っぽくなっている一番厄介な降り方といえるかもしれない。川べりの公園には誰もいない。当然いかなる店もオープンしていないから舗道を歩く人影もない。ゆったりと流れる小川の音と朝早くから川下りを楽しむ鴨の鳴き声が時折きこえてくる。静寂という言葉がこれほどマッチする村は世界のどこにもないに違いない。小さな橋を渡り、私たちが宿泊したホテルが正面に見える川沿いの舗道で立ち止まった奥さんは、ポーチから煙草をとりだしライターで火をつけた。煙草を吸わない私にはわからないが空気の澄んだこうした場所での一服は、ホームの端の喫煙スペースで吸う煙草よりはるかに美味しいに違いない。住人の迷惑、環境問題などをまったく無視できればの話だが。
「あっ」という声を奥さんが発した。昨今のヨーロッパには煙草を吸える場所は皆無に等しいという私の脅し文句を信じていた奥さんは、今回の旅行に携帯灰皿を持参していた。外で一服するときはその携帯灰皿を利用していたのだが、どうやらそれを川に落としたらしい。幸い携帯灰皿は川底に沈むことなくなんとか浮いている。また川の流れがゆっくりなので下流にどんどん流されるということもない。奥さんは私に助けを求めているようだった。私は奥さんの持っていた傘を奪い取り、傘を裏返して川に差し入れた。ドーム状となって開いた傘の内側で川の水とともに携帯灰皿をすくいあげようという作戦である。ところがだ、緩やかに見える川の流れも意外と強い。傘が裏側に水が入ると傘がどんどん流されるのがわかる。さらにこのまま川の流れに身をゆだねると傘の骨が折れることは間違いない。私は傘の内側にたまった川の水を落としながら傘を川から引っ張りあげた。携帯灰皿はあきらめるしかない。
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西洋憚(はばか)り見聞録 [旅]

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中学生の頃、友人と銀座に行ったときのことです。友人の腹がどうしようもなく疼きだしました。私たちは近くの銀行に駆け込んだのです。すごい形相で入店してきた中学生ふたりみて思わず非常ベルに手をかけた行員がいたかもしれません。彼は用をたしたかっただけなのですが、銀行には彼のお目当てだったお客様用のトイレがありませんでした。友人は銀行をでると人ごみをかきわけ四丁目付近のデパートに猛ダッシュ。ことなきをえたのでした。よっぽどの大口預金者か主要取引先でない限り、銀行側が素直にトイレの使用を許可しないであろうことは今ならわかりますが、当時の私たちにはそんな大人の事情はわかりませんでした。
銀行は冷淡でも日本にはデパートやファッションビル、地下鉄の駅にだって構内に入らなくてもトイレがあり、誰でもウェルカムで利用可能。ところが欧州はちょっと様子が異なったのです。私と奥さんは英国とフランスを旅行したときのこと。日本ではどちらかというと便秘気味の二人ですが現地ではよく食べるせいかよく歩くせいか、とにかく快調そのもの。場所時間を問わず体はそれを要求してきました。繁華街を歩いているときならデパートに行けばすみます。でもよっぽど大きな駅構内ならともかく地下鉄の駅にはトイレがありません。ちょっと商業地区を外れるとそれこそ大変。レストランやパブに入って何かオーダーしない限り用がたせないのです。しかし街を歩くうちに大発見をしました。ロンドンの美術館博物館は入場無料、そしてそこには美しいトイレがあることを。ところかわってフランスではこれまた一苦労でした。美術館は有料ですし、デパートがそこかしこにあるわけではありません。どうにもならなくなったらカフェに飛び込み、飲みたくもないコーヒーを注文してから大抵地下にあるトイレに向かわなくてはならないのでした。地方の小さな街や村だったらもう宿屋にもどるしか解決法はないのです。いったい他の西洋の国々からきた観光客はどう対処しているのだろう、私たちは不思議でならなかったのですが、結局、西洋人と日本人では体の構造が異なるに違いないという結論に達しました。
ある日の午前中、パリ市内を歩いていた奥さんの口数が減ってきました。色づきだした街路樹、セーヌのおだやかな流れを観る余裕すらありません。やがて妙な歩き方になってきました。尋ねると案の定、憚りに行きたいとのこと。午前中の早い時間だったので空いているカフェも見つかりません。ようやく金髪のパリジェンヌが屋外にテーブルをセットしている開店直後のカフェを見つけました。奥さんはエスプレッソと私に言い残して階下へ飛び下りていったのです。私はパリジェンヌに奥さんのオーダーも告げ、代金を支払い、エスプレッソを受け取り、屋外のテーブルに陣取り、車の通りもほとんどない静かな街の様子をぼんやり眺めていました。やがて奥さんがもどってきたのですが様子が変。「すぐに行こう」というのです。エスプレッソの大半をカップに残したまま、私たちはその場を立ち去りました。きくとトイレの水が流れなかったといいます。トイレがもともと壊れていたのか、ボリュームによって破壊されたのかは不明です。あれからパリの巷では日本人は体の構造が違うようなのでトイレは絶対に使用させるなと囁かれているのかもしれません。

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空港 [旅]

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空港、Airport という言葉を耳にすると、新たな旅立ちや出会い、再会を連想して気持ちが高揚したりロマンを感じたりする一方、その響きが時折寂しく聴こえるときがあるのは私だけではないと思います。「空港」「雨のエアポート」のように歌になり、「ターミナル」「ラブ・アクチュアリー」など映画の舞台になることが多いのもそのためではないでしょうか。
私が社会人としてデビューしたのは航空貨物を扱う会社でした。成田空港開港直前、まだ羽田が首都圏唯一の国際空港だった頃です。私自身は世界のブランドS社に席を置き、ブラウン管(現在は知らない人が多い?)や音響製品を中心に、時にはミサイルの弾頭に装着されるのではと噂しながらビデオカメラの輸出業務を担当していました。その会社に入るまでは旅客機の荷物室には乗客のスーツケースや郵便物ぐらいしか搭載されていないだろうと思っていたのに、高額な運賃がかかるにもかかわらず多くの一般輸出入貨物が積まれているとは想像もしていませんでした。貨物専用機では牛や馬なども輸送されていたのですからびっくりです。私が入社した年に日本で最初のF1グランプリが開催されましたが、世界を転戦するF1ですから輸送も当然飛行機。そのF1マシンの輸送・輸出入を担当した他社の人たちを羨ましく思ったことを覚えています。当然羽田空港にも頻繁に行きました。絶えず甲高いエンジン音が聞こえ、オイルの焼けた臭いが漂う空港に着くと意味もなくワクワクしたものです。空港に隣接していたホテルのレストランもよく利用しました。窓越しに微かに聞こえる離陸していくジェットのエンジン音、尾翼に様々なマークを浮かび上がらせ世界に飛び立つ各国フラッグキャリアの機影。すべてが眼前のお料理のスパイスになっていました。羽田は私にとってデートコースでもあったわけです。空港の外側には良い思い出がありますが、ひとたび旅人となって空港の利用者となると話は別。私の場合、歌詞や映画のシーンになるようなドラマチックな出会い、別れ、再会は皆無といえます。出国時にスーツケースの中身をすべて取り出され、女性用ウイッグや付け毛、マニュキアを他の搭乗客の前でお披露目することになったり、手荷物の梅干が液体爆弾か何かと疑われたのか判明するまで手荷物検査所の機能をストップさせ、長蛇の列を作る張本人になったりと悲惨な記憶ばかりです。
羽田空港は利便性が見直され24時間稼動する国際空港として進化しつつあります。航空需要の拡大にそなえ空港の整備が急務と叫ばれた半世紀前に羽田沖合いへの拡張に着手していれば。当時の土木技術では困難だったといいますが本当でしょうか。多くの血を流してまで不便な成田に新空港を建設したのは特定の誰かさんたちを潤わせることを優先させた結果では。今は世界中どこの空港も新型コロナウイルスの影響で発着する便数も激減し、かつてのように華やかでロマンを感じられる場所ではないようです。少しでも早く誰もが飛行機で国内外問わず各地へ移動できる日が戻ってくることを祈ります。

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間抜けなテロリスト [旅]

DSC_8249.JPG911のアメリカ同時多発テロ発生以前、アメリカの税関がまだぬるかった時代の話です。ロサンゼルス空港でのこと、出国の際、私は預けるスーツケース2個を検査のためベルトコンベアーに載せました。私の荷物がゴムのカーテンの向こう側に消えてしばらくすると赤いランプが点滅。私は係員に呼ばれました。パイプ椅子に寄りかかりながら私のスーツケースの中が映し出される画面を見ていた黒人の職員は横柄な態度で「これは何だ」と指さします。そこには綺麗な女性の顔が見事に映し出されていたのです。当時私はかつら屋さんで働いており、ロスにある女性用ウイッグを販売する子会社を訪れ、そこで大変気に入ったマネキンを購入。大事な顔を傷つけまいとそれをスーツケースにいれていたのです。殺害した女性の頭部だけ切り取って持ち出そうと思われたのでは心外ですからこれはマネキンヘッドだと説明しました。でも彼が指差していたのはマネキンの横にある格子状の中に見える数個の丸い物体だったのです。私はそれがいったい何なのかすぐに理解できませんでした。荷物を詰めたのは私です。でもわからない。マシンガンの弾丸にも見えないこともありません。私は何者かに嵌められたのか、いやな汗が全身からにじみ出てきました。しびれをきらした彼は冷たく「開けろ」とひとこと。キーを差し込み開くと美しいマネキンの横に小さな段ボールが。舞い上がっていた私はその時点でもその中身が思い出せません。男は再度「開けろ」とひとこと。絶対に自分では開けないのです。男のことを『この臆病者!』と思いながら箱をあけるとマニュキアの瓶が数本、ぶつかりあって破損しないように区切られた箱の中にありました。ロスにくる前、NYで美容ショーを訪れその会場でお土産にと格安の珍色マニュキアを購入していたのです。私はその箱の周囲にあった箱も次々に開けろと命じられました。中身は女性用の金髪ウイッグです。奥様用に購入したものもありましたしサンプル品もいくつかありました。でも彼にしたら男の私が女性用金髪ウイッグをもっていること自体異様に思えたことでしょう。彼がゲイなら私は手でも握られていたかもしれません。彼の指示に従い私はもうひとつのスーツケースもあけました。中には子供の土産に買った腕を引っ張ると口からマーブルチョコが飛び出す人形が。またいくつかのウイッグも出てきました。仕事だから仕方ありません。JALのカウンター前ですから私の背後にはチェックイン待ちの日本人がいっぱい。私は彼らに異常者のような目で見られている気がしました。検査が終わると彼は「Thank you」とひとこと。そしてまた別の乗客の検査任務に戻ったのです。私はひっちらかった荷物を放置してその場を立ち去りたい心境でした。
現在旅券にはICチップが内蔵されているそうで、チップを損傷しないためにでしょうか中ほどに厚紙が挟み込まれており、絶対に折り曲げないでくださいとの注意書きがあります。チップには氏名、生年月日、顔写真が記録されているとか。でもそれ以外の個人情報もインプットされているに違いありません。私の場合「各国税関職員へ、この者もスーツケースは必ず開けさせること。面白いものが見つかるよ」とでもインプットされているのでしょう。

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とりあえず箱根 seasonⅡ [旅]

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箱根の素晴らしさは何か、とにかく静かである。妙なところにさえ行かなければ。湖があり森がある。天気が良ければ富士山も見える。富士山の麓にも湖はいくつかあるがいずれも周囲が開発されている気がする。しかし芦ノ湖の東側、元箱根にある箱根ホテル、山のホテル、龍宮殿のある箱根園界隈から湖尻・桃源台にいたる湖畔には建造物が点在するが、そのどの地点からみる対岸にあたる西側には深い森しかない。建物は皆無なのだ。かつて東急と西武、五島家と堤家が箱根で覇権争いをしていたらしいが、両社とも芦ノ湖西側に手をつけなかったことは称賛されるべきだと思う、もっとも森が深く急斜面が多く開発が困難だったのかもしれないが。
小田原方面から芦ノ湖を目指す際、駅伝で有名な1号線を通らないなら箱根新道かターンパイクどちらかのルートを選択できる。どちらもかつては有料道路だったが現在箱根新道は無料になったそうだ。私はいつもターンパイクを利用していたのでその事実を知らなかったが。当初は東急ターンパイクといわれていたがこの道、走るにはそれなりの通行料をとられる。急こう配でカーブも多いが長い上り坂には登坂車線も用意されているし、気温の変化が瞬時に感じられるなど走っていて気持ちが良い。終点の大観山付近は下界が晴れていても深い霧に覆われることもある、だがそれがまた良い。そしてなんといっても通行量が圧倒的に少ないのだ。だから自動車専門番組や自動車雑誌はここでよく撮影をしている。取材中飛ばしすぎたのか亡くなった自動車評論家もいた。無茶さえしなければコストパフォーマンス日本一の有料道路ではないかと私は思う。安全のためか夜間は今でも閉鎖されるが、高校時代には料金所の横をすりぬけてヘッドライトだけをたよりに箱根を目指していた。万が一事故っても翌朝まで絶対発見されない、その間にクマに食べられたかもしれない。あくまで自己責任で走行していたのだから許して欲しい。時効だろうし。
コロナ禍の今年は残念ながらまだ一度も箱根の地を踏んでいない。GoToトラベルを利用して行きたいが原資が必要だ。はたして今年中に実現するのだろうか。家族に免許返納を言い渡される前にターンパイクをまた走りたいものである。クマに食われてもいい、冥土の土産話になるかもしれないから。

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とりあえず箱根 seasonⅠ [旅]

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これまでに箱根へ何回いっただろう。千は大げさにしてもその半分は行っているかもしれない。ただし宿泊したのはその半分ぐらいだろうか。何せ箱根は家から近い、昔は134号線が渋滞していたので西湘バイパスにのるまでにへたをしたら2時間以上かかった。しかし今は江の島から先が片側2車線になったので休日でも1時間経たずに西湘を走っていることもある。
幼少期の林間学校が記憶に残る最初の箱根訪問だ。現在は高級旅館になってしまいあぶく銭でも入らない限り泊まることもできない宿だが、当時はそこのお孫さんだかが同じ学校に通っていたので、何をしでかすかわからない小学生の林間学校として利用させていただけたらしい。小学校や中学校では遠足で、高校に入るとバイクで訪れた。深夜に家を抜け出して箱根を目指したのだ。峠を責めていたわけでもない、小さいバイクで友達と連れ立って「とりあえず箱根」というわけである。四輪の免許を取ってからはイロイロな人と訪れた。かつて芦ノ湖のそばに樹木園なるただの広い公園があった。たいした金額ではなかったと思うが有料だったので人見かけることも少ない。彼女の手弁当を何度か食べたこともある。その近くの丘にはやはり有料のピクニックガーデンがあった。芝生が拡がり芦ノ湖を見下ろせる絶好のロケーションだったので家族で何度も行って遊んだ。ありがたいことにやはり人がいない。湖畔に立つ箱根プリンスホテルには何度も訪れて泊まった。朝食のビュッフェだけを食べに早朝家をでたこともある。子供がうまれてからは次男が小学校高学年になるぐらいまで、館内の同じ場所、同じソファーに座らせて長男とともに写真を撮った。何年か前、久方ぶりに訪れたらそのソファーがなくなっていた。成長の証として身長を記してきた大切な柱を失ったような気持ちになったことを覚えている。樹木園にピクニックガーデン、そしてホテル、いずれも西武鉄道グループの施設だ。たくさんお金を落としてきたのだから堤家からひとことあってもよさそうなものだが。

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実録台北公安事情 Part2 [旅]

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私はパスポートケースからパスポートを抜き、差し出した。と、その瞬間! 
彼らが私のパスポートをもっていきなり駆け出すのではなかろうか。彼らは警官に化けた犯罪者集団の一味ではなかろうか。不安が脳裏をよぎる。そうなったら勝ち目はない。小学生の時、運動会の徒競走で、前走者がこけてしばし起き上がれないので、これで今年はビリを免れたと安堵した両親の期待を裏切り、ゴール前で見事にこけた走者に抜き去られ定位置のドンケツになったほどの鈍足の私である。相手は若いし勝ち目はない。私のパスポートは闇ルートで売買されることになるのではないだろうかとの不安にみまわれた。しかし、彼らは走りださない。パスポートの私の写真と、実物とを交互に見て比較検討している。私に目をむけたとき、にっこり微笑んでやろうかとも思ったが、それも躊躇した。次の彼らの要求は「エアルチッケト」だった。エアーチケット、つまり航空券のことだろう。私を不法滞在者とでも思ったのだろうか。事態はあまり楽観視されない状況のようである。ドッカーンも意味のない微笑も躊躇したことは正しい選択だった。バスの列に並ぶ人たちから放たれる視線は奇妙ではなく犯罪者をみるような冷たい視線に変化している。私たちは同じ肌の色をしているではないか、過去のわだかまりは消して両国発展のためにも、もっと暖かい眼差しで私をみつめて欲しいと願ったがそれは無理な要求のようだった。だが喜ぶべきはいつもならホテルの部屋の金庫に入れておくパスポートも航空券もその日に限って持参していたことである。航空券をケースの中で探しながら私は考えた。彼らの狙いは航空券だったのか。これを持って走りだし、金券ショップに持ちこもうという魂胆かもしれない。私は再び猜疑心に襲われた。おそるおそる航空券を差し出す。内容を確認している様子である。沈黙は続いた。外気を目前にしているものの私たちの立つターミナル内をとおる風はない。例によって妙な汗もでてきた。いきなり手錠でもかけられたらどうしよう。日本語のわかる警察官は署に戻ればいるのだろうか。一生台湾から出国できなくなるのでは。異国の地は人を予想外に不安にさせる。でも私は何もしていない。日本からの逃亡者ではない。テロリストでもない。善良な一社会人である。やがて私にパスポートと航空券が差し出された。無罪放免のようである。真の犯罪者に私のパスポートと航空券が奪われないように見守ってくれていたのだろうか、私がしっかりとそれらをアタッシュケースに収めるのを見届けた後、彼らは「グッバイ」とぎこちない笑みを残して埃っぽいターミナルの中へ消えていった。
列に並ぶ人たちは何事もなかったかのように新聞をひろげたり、おしゃべりをしたり、私に無関心を装っていた。時間にして5,6分のことではあるが、警官に呼びとめられるだけで人はこれほど緊張するものなのかと実感した。現地に駐在する日本人スタッフにこの話をすると「3年いるけど、そんな経験一度もないよ、よっぽど怪しかったんじゃない」と大笑いされた。しかし、彼らは制服を着てはいたが本当に警官だったのか。ただのコスプレマニア?真実はいまだわからない。

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