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自殺は罪3 [何か変]

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またひとり有名女優さんが自ら命を絶ったようです。
ワイドショーでは彼女のこれまでの華やかな経歴を紹介し、彼女の人柄を称賛しています。加えていつものように彼女がその行動に至った要因をあれこれ詮索推測するだけ。そしてその最後に悩んでいる人は一人で悩まないで、相談する機関がありますよと連絡先を告知して終えています。いつも思うのですがそれだけでいいのでしょうか。番組に参加している司会者、評論家、コメンテーター、誰ひとりとして、自死はいけないことなのですよとは発言していません。他人を殺したら罪になります。それと同様に自分で自分を殺すことも罪深い行為であると唱える人がいないのでしょう。公共広告でも自殺は罪だとメディアを介してなぜもっと強く訴えないのでしょう。自死を選択する人の気持ちは本人以外誰にも理解できないと思います。でも直前に自分はこれから罪を犯そうとしているということが脳裏をかすめれば躊躇することにつながるかもしれません。人のモノをとってはいけない、酒を飲んだら運転してはいけない、そうした当たり前のこととして自死はいけないということを人々の心にもっともっと浸透させるべきではないでしょうか。
自死は人間に与えられた権利では絶対にありません。
https://iamreallyangly.blog.ss-blog.jp/2020-07-20
https://iamreallyangly.blog.ss-blog.jp/2018-05-30

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日本沈没 [怒]

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中曽根元首相の内閣自民党合同葬に1億円近い税金投入?何ですかこれ?歴代総理でも行われてきたことだから?だったらコロナ禍、日本全体が疲弊しているときだからと、これを機に廃止すればいいのでは。税金は自分たちが稼ぎ出したお金だと思っているのでしょうか永田町の皆さんは。そして野党はどうしてもっと追及しないのでしょう。追及はしているけどマスコミにとりあげられない?だとしたら本当に力がなさすぎです。1強のままこの調子で国会が動くのなら議会など存在する意味がない。だいたい野党の皆さんからは政権を何が何でも取り返し、この国の政治を変えようという強い意志がまったく見えきません。自民党の一部と協力してでも今の政治を変えようという気概を見せて欲しいものです。
しかし、元首相の葬儀に限らず、こうやって税金を自分たちのいいように使っている、国民にはあまり知られていないことがまだまだ永田町には存在するんでしょうね。税金を納めるのがバカバカしくなります。偉そうにいえるほどの額を納めているわけではありませんが。それでも所得税、消費税、自動車税、酒税など諸々合算すればそれなりの金額かと。国民も本当に馬鹿にされたものです。
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中期高齢者のハローワーク [楽]

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ときは1975年、バルセロナからバスで3時間近くかかるスペイン人の友だちが住む山間の村を訪れたときのこと。友人は多くの村人たちから私がどこの国の人か、さらに男なのか女なのかと尋ねられたそうです。目はぱっちりしている上に顔立ちは可愛らしいし、美しい項(うなじ)が隠れる程度に髪の長かった私をみて男女の判別ができなかったのでしょう。
大きくなったら何になりたい?時代は変われど、こどもが大人からもっとも多く尋ねられる質問ではないでしょうか。将来は料理人になる。残念ながらその選択肢をこどもの頃の私は全く持ち合わせていませんでした。普通のサラリーマンとして社会に出てからも食べること飲むことは好きでも、それを作る側のことを真剣に考えたことはなかったような気がします。でも最近、包丁片手に台所に立ち料理を一品完成させる度に、これを家族だけに食べさせているのではもったいないのではなかろうか、なぜ私は板前やシェフになって世界の人たちをハッピーな気持ちにしてあげることを考えなかったのか、「時を戻そう」といったところであともどりできない過去を呪っています。料理は頭をつかいます。手際、段取りがよくなければいけません。創りあげた作品の色合い、器との調和、美的感覚も欠かせません。料理はアートでもあるといえるでしょう。いつも奥さんとの争点になるのですが、世界に著名な女流画家や女性シェフが少ないことからして、女の人は芸術的才能、感覚が男性より劣っているのではないかというのが私の持論です。有名人の発言なら炎上必至ですが無名人の持論なのでご勘弁を。また私が子供の頃にはあまり認知されていなかった職業にメイクアップアーティストがあります。役者さんや映画俳優の化粧を担当する化粧係・メークさんの呼称がお洒落になっただけかもしれませんが。残念な顔はそれなりに、それなりの顔は美しく、美しい人は絶世の美女へ、様々な化粧品や道具を駆使して指先だけで変貌させられるこの仕事にも私は最近魅かれています。修行時代には、できれば手をつけたくない顔にも化粧を施さなければならないこともあるでしょう。でもそうした試練を乗り越えテクニックに磨きをかけ、ひとたび名声を得てしまえば有名スターや著名人からのご指名が殺到、自分の手でさらに美しく創りあげたいと思う相手だけのオファーを受けることだって可能でしょう。料理にしろ人間の顔にしろ、第一印象は見た目で決まるのです。
どちらかというと手先が器用で細かい作業も苦手ではない私は両方の職種に向いているのかもしれません。デパートに行けばあまり混雑していない食器売場や調理用品売場、食材・調味料が豊富な地下の食料品売場を必ず歩きます。食品スーパーだって大好きです。美しい販売員さんがいるからというわけではなく様々なブランドが並ぶデパートの化粧品売場独特の臭いも決して嫌いではありません。一度あの売場のイスに座って選抜きの美容部員さんにメークを施してもらってもいいかなと思う私もいます。でもやはり今のように肌が緩んでいない時代の私の顔を自分自身の手でさらに美しく変身させてみたかったですが。

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クラッシュ=異常終了 [小説]

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決して軽んじているわけではないが関西弁は便利だ。標準語に比べれば柔らかな語調の関西弁という声色(こわいろ)を用いれば、いかなる場合も相手にそれほど不快感を与えることなく、比較的穏やかにことが運ぶことができる、と思っていたのだが。
人々が行き交う雑踏の中を歩きながら、地下鉄のホームで友人と爆笑しながら、信号待ちのスクランブル交差点でその色の変化を注視することなく、スマホを耳にあてる、また画面を操作するアホ娘が目に付く今日この頃である。そんな世の中で、文明の利器を所有しない清楚で可愛らしい女性に遭遇した。
3番線に到着した久里浜行きの電車を降り、私は表駅に出るべく連絡階段を渡り、1番線ホームにでた。1月にしては寒さを感じさせない風がホームを吹き抜ける。グリーン車が停車する当たりのベンチで茶髪のアホギャルが、醜い腿をさらけだしながら大声でスマホの向こう側にいるであろう馬鹿男に話し掛けていた。そして売店横の喫煙スペースにも黒いロングコートに身を包みくわえ煙草でスマホをいじるOLとおぼしき輩を発見。どいつもこいつも何やってんだ。一人苛立つ私の視野に飛び込んできた一人の女性。
彼女は売店横にある昭和遺産、公衆電話の前に立ち、その美しく、か弱い手で大きな黄緑色の受話器を手に電話の向こうの相手に語りかけている。私は言いようのない感動をおぼえた。携帯・スマホの氾濫するこの世の中にあって、時流に巻き込まれることなくそれを持たず公衆電話を利用するなんて、きっと良家の子女に違いない。無事駅に到着したことを家族にあるいは執事に伝えているのだろう。私の想像は限りなく膨らんでいく。そして、 私は彼女が受話器を置くのを待つことにした。
美しく輝く肩までのびた亜麻色の髪が時折風になびく。静かに受話器を耳もとから離す彼女を確認し、私は大胆にも彼女に接近した。一瞬、戸惑いを見せ瞳を大きく見開く彼女。その済んだ瞳に吸い込まれる前に、私は彼女に思い切って語りかけた。
「スマホこうてやるけ、おっちゃんとマクドいかへんか」
1番線ホームに進入してきた上り電車の騒音が、彼女が私に放った平手打ちの乾いた音をかき消した。

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空港 [旅]

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空港、Airport という言葉を耳にすると、新たな旅立ちや出会い、再会を連想して気持ちが高揚したりロマンを感じたりする一方、その響きが時折寂しく聴こえるときがあるのは私だけではないと思います。「空港」「雨のエアポート」のように歌になり、「ターミナル」「ラブ・アクチュアリー」など映画の舞台になることが多いのもそのためではないでしょうか。
私が社会人としてデビューしたのは航空貨物を扱う会社でした。成田空港開港直前、まだ羽田が首都圏唯一の国際空港だった頃です。私自身は世界のブランドS社に席を置き、ブラウン管(現在は知らない人が多い?)や音響製品を中心に、時にはミサイルの弾頭に装着されるのではと噂しながらビデオカメラの輸出業務を担当していました。その会社に入るまでは旅客機の荷物室には乗客のスーツケースや郵便物ぐらいしか搭載されていないだろうと思っていたのに、高額な運賃がかかるにもかかわらず多くの一般輸出入貨物が積まれているとは想像もしていませんでした。貨物専用機では牛や馬なども輸送されていたのですからびっくりです。私が入社した年に日本で最初のF1グランプリが開催されましたが、世界を転戦するF1ですから輸送も当然飛行機。そのF1マシンの輸送・輸出入を担当した他社の人たちを羨ましく思ったことを覚えています。当然羽田空港にも頻繁に行きました。絶えず甲高いエンジン音が聞こえ、オイルの焼けた臭いが漂う空港に着くと意味もなくワクワクしたものです。空港に隣接していたホテルのレストランもよく利用しました。窓越しに微かに聞こえる離陸していくジェットのエンジン音、尾翼に様々なマークを浮かび上がらせ世界に飛び立つ各国フラッグキャリアの機影。すべてが眼前のお料理のスパイスになっていました。羽田は私にとってデートコースでもあったわけです。空港の外側には良い思い出がありますが、ひとたび旅人となって空港の利用者となると話は別。私の場合、歌詞や映画のシーンになるようなドラマチックな出会い、別れ、再会は皆無といえます。出国時にスーツケースの中身をすべて取り出され、女性用ウイッグや付け毛、マニュキアを他の搭乗客の前でお披露目することになったり、手荷物の梅干が液体爆弾か何かと疑われたのか判明するまで手荷物検査所の機能をストップさせ、長蛇の列を作る張本人になったりと悲惨な記憶ばかりです。
羽田空港は利便性が見直され24時間稼動する国際空港として進化しつつあります。航空需要の拡大にそなえ空港の整備が急務と叫ばれた半世紀前に羽田沖合いへの拡張に着手していれば。当時の土木技術では困難だったといいますが本当でしょうか。多くの血を流してまで不便な成田に新空港を建設したのは特定の誰かさんたちを潤わせることを優先させた結果では。今は世界中どこの空港も新型コロナウイルスの影響で発着する便数も激減し、かつてのように華やかでロマンを感じられる場所ではないようです。少しでも早く誰もが飛行機で国内外問わず各地へ移動できる日が戻ってくることを祈ります。

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脳裏に焼き付くお言葉 SeasonⅢ [楽]

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「明日帰っちゃうんですよね」。誰しも言われてみればその通りでも、必殺パンチのようにダメージを受けるひとことを浴びせられた経験があるはずです。
数年前、我が子が成人式の式典で行われたビンゴ大会で見事にペア海外旅行券をゲットしました。ソウル、香港、シンガポールの3都市の中から好きな行き先を選べたそうですが、親孝行な我が子はそれを両親にプレゼントしようとしたのです。彼が選択した行き先は一番遠いシンガポール。欲深い両親なので少しでも遠くに行ければ“お得感”を味わってもらえるに違いないと考えたのでしょう。「若いうちに異文化・異国を知ることはいいことだから友達といってらっしゃい」などと父も母も口が裂けても言うことはなく、喜んで旅行の目録を彼から奪い取ったのでした。旅行は2泊4日。初日は夕刻の便でシンガポールへ。深夜に到着してホテルへチェックイン。2日目は市内観光か自由行動。3日目は夜まで自由行動。そして深夜便で日本へ。機内泊して4日目の早朝成田着というスケジュールでした。私も奥さんもシンガポールには行ったことがあったので市内観光はパス。インド街とか自分たちの訪れたいところを丸2日かけてのんびり散策できると思っていたのです。日が替わる頃シンガポール空港に到着。入国審査を終えてロビーにでると旅行社の現地人スタッフが出迎えてくれました。役所広司似のその男、ホテルに向かうバスの中でシンガポールのあらましをひとしきり語った後、ボソッとひとこと呟いたのです。それが冒頭のフレーズでした。すでに日は替わってツアー第2日目に突入しています。その後ホテルでチェックインして何時間かはベッドで眠ることになりますが、朝起きてもまだ第2日目。丸1日ぶらぶらしてホテルのベッドに潜り込むのも夜更かししない限りまだ第2日目。3日目の夜半に集合して空港へ、そして4日目突入寸前の深夜便で出発。だから役所広司の発言は間違ってはいません。確かに私たちは明日帰るのでした。でも丸2日はのんびり異国情緒を味わおうと考えていた私たちにはかなりショックなひとことだったことは事実です。
先日初のお蔭参りに行きました。神様の前でお腹を鳴らしては失礼とまずは名物伊勢うどんで胃袋を満たして店をでたときのことです。地元中学生の集団がお揃いの運動着姿でこちらに向かってきます。列は乱れ気味ですが皆それぞれ何かを話しながら楽しそうに歩いていました。そのすれ違い様、彼らひとりひとりが「こんにちは」と私たちに挨拶するのです。ひとりひとりに応対はできませんでしたがこちらも「こんにちは」と笑顔を添えて会釈します。古都鎌倉の街を歩いていたって地元の中学生に挨拶されたことなどない私にはとても新鮮、そして清々しい気持ちになりました。観光地の住人としてお客様に感謝し礼儀正しく接しようという街全体の取り組みなのかもしれません。でもそれをちゃんと実践している子供たちも立派だと思います。あの中学生たちの「こんにちは」は邪心に満ちた私を一瞬にして子供の頃のように澱みない清らかな心に戻してくれる逆の意味での必殺技、鮮烈なひとことでした。

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今宵はロマネコンティでも開けますか [楽]

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2年前ニューヨークで開かれたオークションで伝説のワインといわれる1945年のロマネコンティ1本が約6000万円で落札されました。私が落札者に頼んでヤクルト容器にお裾分けしてもらおうとしても総2階建旅客機エアバスA380の座席全部に福澤諭吉さんを座らせても足りないかもしれません。我が家がワインに費やす資金の一生分以上の金額です。それだけ投じても楽しめる時間は一瞬。もったいないもったいない。酔いつぶれることはできませんが我が家がつぶれてしまいます。
19世紀半ば、ヨーロッパの葡萄の樹は害虫によって壊滅的な被害を受けましたがロマネコンティの畑の樹だけは難を逃れたそうです。しかし20世紀となった1945年、戦争によって肥料・消毒剤の入手も困難となった結果とうとう害虫に侵されてしまいそれらの樹もすべて根から引き抜かれることに。つまり1945年もののワインは何百年も引き継がれてきた樹から最期に収穫されたぶどうで作られたワインということになります。さらに1945年には600本のロマネコンティしか瓶詰めされなかったので伝説のワインと称されているのでしょう。その内の1本ですから6000万円は妥当な価格なのかもしれません。もっとも600本しか生産されていない割にはオークションに出品される1945年のロマネコンティが多いのではという謎もあるようですが。ボトルに貼られたラベルにはクレジットカードや紙幣のように特殊な技術が施され本物であることが証明されているわけはありません。単なる紙ですから簡単に印刷できます。長い歳月を経てきたように紙に細工することなど今の技術なら容易いことだと思います。ならばちょっとずるい人は別のワインに模造したラベルを貼って市場に流すことを考えるでしょう。またワインは生き物だと言われます。瓶詰めされた後も呼吸をして熟成し続けているそうです。完璧に保管されていない限り人間同様年が経てば老い劣化するでしょう。いつまでもお嬢さんでいられるわけがありません。絶対本物だと確証のないワイン、たとえ飲んでも楽しめるとは限らないワインに大金を投じる人とはいったいどんな人なのでしょう。何年か所有した後にオークションに出品する側となり高値で落札させ利ざやを稼ごうという魂胆の投機家。熟女を好む粋人。それとも偽モノであろうが味が劣化していようが目の前にあるワインが瓶詰めされてからどんな歴史を積み重ねて自分の手元にやってきたのかあれこれ瞑想するロマンチスト。いずれにしても単純にただそれが飲みたいと思って落札したお金持ちのワイン愛好家だとは思えません。
ちなみに私これまでの人生でロマネコンティを口にしたことはありませんが、幸運にもラ・ロマネは2度ほど味わっています。日本ではあまり知られていない銘柄ですがロマネコンティの真上の畑でもともとは同じ区画内の畑、ソムリエ風に表現するならエレガントさと力強さをあわせもつバランスのとれた逸品でした。最後に雑学をおひとつ。もしお知り合いで1946-51年のロマネコンティを飲んだという人がいたら、その方は大嘘つきか騙されたのです。全ての樹を植えかえた畑でぶどうが獲れるようになる52年までロマネコンティは1本も造られなかったのですから。

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令和一揆が日本を変える [怒]

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下記は数年前に記したものです。時代は平成から令和になりました。当時の与党は現野党に、当時野党だった自民党は現在1強の与党となっています。総理は菅で変わりませんが、読み方が「かん」から「すが」に変わりました。でも議事堂で働く皆様方のお考えは与野党問わず数年前と何も変わっていないようです。

先日久しぶりに国会議事堂前を車で通りました。随所に警官は立っていましたが週末ということもあってか人影はまばら。小グループの修学旅行生が議事堂をバックに記念写真を撮っていた程度です。片側5車線の道路を走る車もほとんどありません。半世紀前の安保闘争の際には議事堂周辺のこの広い通りが、十万人を超えるデモ隊で埋まったそうですが今は平穏、静かなものです。国民が我慢強くなったのか、それとも去勢されてしまったのでしょうか・・・。
今年(2011年)流行語大賞にノミネートされるかもしれない「一定の目途」がたったのかどうかはわかりませんがようやく新しい総理が誕生しそうです。野党のみならず身内からも厳しいバッシングを受けてきてとうに撃沈していてもおかしくなかった菅さんを見て、「痛みに耐えてよく頑張った。感動した」とは小泉元総理も言ってはくれないでしょう。与党は代表選をにらんで党員資格のない大御所のご機嫌を伺いながら駆け引きし、野党は大連立なんてとんでもないと長年政権の座にいた誇りもないのか、すっかり立派な野党になりきって与党を批判するばかり。国会議員の大半は国民ではなく自分たちの立場を優先させているようです。議事堂はそんな先生方で占拠されていますが、この国はちゃーんと動いていました。被災地の方々も復興に向けすでに立ち上がっています。国会議員が足の引っ張り合いをしているその間にも、お役所や民間企業が知恵を出し努力し、そして被災者をはじめ国民ひとりひとりが辛抱し協力してきたのです。予算が足りなくなればまず税率をあげよう、新たな税を設けよう声高に言う。それと同時に自分たち議員の数を大幅に削減してはどうか、与えられた特権は返上すべきだという声がどうしてきこえてこないのでしょうか。落選したらただの人、頭の中は次の選挙のことだけ。地元へ帰って盆踊りや祭りに参加する前に国会議員として為すべきことが他にあると思うのですが。国会議員は国のために働くことが責務ではないのですか。地元の繁栄が第一では困ります。もちろんおらが村から町から総理を、先生の地盤であるこの村この町を潤わせて欲しいと望む国民の側にも問題はありますが。選挙毎に選挙区をくら替えさせる等、選挙制度そのものも見直し、本当に国の舵取りを任せられる議員たちを議事堂に送り込む必要があるのではないでしょうか。
甘い蜜の味を知ってしまい永田町の垢にまみれた先生方には議事堂からとっとと去ってもらわなければいけません。前回(2009年)の総選挙で従来の政治にレッドカードを掲げたものの何も変わっていないように思える日本。首相が任侠道の方々の力を借りてまでデモ隊を鎮圧しなくてはならなかった半世紀前のように、私たちが身をもって怒りを表現し、先生方自身が身の危険を感じるような事態にならないと永田町界隈から退散などしないのかもしれませんが。
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記憶にございます [楽]

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みなさんは何歳ぐらいの記憶がありますか?生まれた直後父親に抱かれたこと、産道を抜けでたときの光がとても眩しかったことを覚えているという人もいます。人は誰でも妊娠五ヶ月ぐらいからの胎内記憶があるとか。でも幼い頃はしゃべれないのでその様子を伝えられません。そして普通の子は3,4歳になると胎内での様子を忘れてしまうようです。私の場合、はっきりとした情景が脳裏に残っているのはやはり幼稚園以降でしょう。その前の記憶もありますが、多分後々見た写真の構図を覚えているだけの錯覚だけだと思います。
幼稚園の年長さんのとき、クリスマス会でキリスト降誕を予知する三人の博士のひとりに選ばれ広いホールをゆっくりと1周したこともありました。ボール紙で作った家の屋根に綿を貼りつけ外国の家を製作したこと、決して日本の雪国の家ではなくサンタクロースの出入口である四角い煙突をつけて外国の家にしたところが私なりのこだわりでしょう。でも幼稚園時代の鮮烈な思い出は同じ組の女の子を後ろから突然押し倒したことです。私の通っていた名門幼稚園は中央が大きなホールになっており、その周囲にいくつかの教室がありました。何かの行事で教室からホールに各自椅子を持って移動する際に事件はおきたのです。私たちは自分の小さな椅子を前に抱え縦一列でホールに移動を始めました。前を歩く子との間隔もそれほどありません。その時、何を思ったか私は手に持ったその椅子を突き出し、前の女の子を押したのです。女の子はつんのめりました。小さいとはいっても木製の角のある椅子です。当たり所が悪ければ周辺は血の海になっていたことでしょう。その前の子もつんのめったら将棋倒しとなり大惨事だったでしょうが転倒したのは女の子だけですみました。わけもわからず押されて倒れた彼女は当然大泣きです。すぐに先生が駆けつけ彼女が泣きながら犯人を指差しました。でもわけがわからないのは私も同じ。押し倒して乱暴しようとしたわけではないはずです。その子がいじめっ子でいつか仕返ししてやろうとチャンスを待っていたわけでもありません。愚図でのろまで同じ組のお友だちに迷惑をかけているので神に代わって成敗したわけでもありません。私が常日頃から粗暴な問題児であったわけでももちろんありません。何が私をそうさせたのか私にだってわからなかったのです。しかし押した覚えはあるのですがなぜかその後の記憶は全くありません。先生にこっぴどく叱られてもいないのでしょう。相手の親が私と幼稚園を訴えたということもないと思います。きっと私が三人の博士に選ばれるほど人望のある優秀な園児だったので何のお咎めもなく事件ではなく事故として処理されたのでしょう。
私は彼女の名前も覚えていません。でももし彼女が事故として扱われたことに納得がいかず、私の名前を忘れまいと毎日ノートに100回ぐらい綴るなど、先日最終回をむかえたドラマ『竜の道』の双子の兄弟のように、その後の人生、私への復讐だけを考え過ごしているとしたら。私が何者かに殺害されたら幼稚園時代の同級生の女の子が疑わしいとどなたか警察に通報してください。

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猫の耳 [楽]

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私は文章を書くことが好きです。でも最近はいざ書こうと思っても頭の中に浮かんだ簡単な情景が指先を通じて単語となって表現されるまで時間がかかります。自分で思考することをギブアップしてインターネットの辞書などに頼ることも増えてきました。
「薄い耳をつまんだ」。何気ない言葉ですが、ある文豪の書いた童話の中のこの一文がラジオで紹介されたとき私は衝撃を受けました。薄いと表現された耳は猫の耳です。私の家にもかつて猫がいました。数年一緒に暮らしていたので猫の特徴は捉えているつもりでいました。もちろん猫の耳の皮が薄いことには気づいてはいたのですが、それをストレートに「薄い耳」という言葉で原稿用紙のマスを埋めてしまうところに、当たり前ですが文豪と私の間にはとてつもなく大きな表現力の差があることを思い知らされた気がしたのです。我が家にいた猫はもともと野良猫。巷のどこにでもいる猫です。でも家の中を闊歩する姿はトラそのもの、猫なで声をだして人に擦り寄ってくることは年に一度あるかないか。野生に近い猫でした。その猫の耳の内側は野獣とかけ離れた淡いピンク色をしていて、皮膚は薄く、短い短い毛が生えていました。その耳に私が顔を近づけ、耳の先をつまんで明かりにかざせば向こう側の風景が透けてぼんやり見えたに違いありません。でもそんなことをしたら私の顔面は指先に凶器を備えた手足によって乱打され血だらけになることは明白でしたから、私はただ薄い耳を外側に折りたたんだりしてときおり遊んでいました。もちろん相手は非常に不愉快そうな表情をしていましたが。猫好きで知られるその文豪もいつも「猫の耳ってなんて薄いのだろう」と感じていたのでしょう。ひょっとすると私同様に耳を悪戯していたのかもしれません。
生まれた国の異なる男女がいます。もちろん言語も違いますから意思の疎通もままなりません。男は小説家、女はその男の家に通うお手伝いさんです。彼は毎夕彼女を駅まで送っていきました。その車内での会話、男は「今が1日の中で一番好きな時間だ。君とドライブできるから」と言います。一方助手席に座る女は「今が1日の中で一番悲しい時間よ。あなたとの別れが近づくから」と呟きます。片や英語、片やポルトガル語、お互い相手の言葉が理解できないので二人とも何を言っているかはわかりません。表現方法は正反対ですが思いは同じです。映画の中のワンシーンでしたが、この映画の脚本家にも私は脱帽しました。脚本家の脳裏に一瞬で閃いたのか何日も考えぬいた末に生まれた会話なのかはわかりませんが、最終的に台詞にしたのですからご立派です。
小説は読むものではなく書くもの。私の表現力の乏しさは盗作騒動に巻き込まれることを嫌って他人の小説をあまり読まなかったことの弊害なのでしょうか。公文書改ざん、収賄、贈賄、煽り運転ン、レジ圧など、新聞や雑誌、ビジネス書にはあまり人の心を動かすような情景をイメージさせる言葉はでてきませんからねえ。

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