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記憶にございます [ほっこり]

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今日はあんみつを持ってきたよというと、父の目が少し輝いたようにみえた。袋から取り出して手渡すとすぐさま準備にとりかかる父。コンビニなどで売られているプラスチック容器入りのあんみつというのは食べるまでに少しばかり手間がかかるものである。プラスチック製の上ブタを取り外した後、中ブタを引出し、その中に収まった種種のトッピング材料、まめ、求肥、そしてあんこを寒天の入った基本容器に落とすのだ。手先をあまり使わなくなった父にはこれも立派なリハビリになる。父は用意されたスプーンに気づかず、中ブタを振って無理やりあんこなどを振り落とそうとする。ここであんこや求肥などを床に撒き散らしてしまってはせっかくの手土産が台無しだ。数少ないまめのひとつが床に転がったが被害は少ない。スプーンを使うよう促しゆっくりと寒天にのせていく。中ブタの中身が寒天と合体すると、父はあんこがまだ少しまわりに残っている中ブタの中を短い舌を巧みに操ってなめだしたのである。私と妻は唖然として顔を見合わせた。最期に別のボトルに収められた黒蜜をかけるとあんみつの完成である。
父は久方ぶりに手のこんだ準備作業を終え、最後に容器の中をスプーンでぐるぐると混ぜ合わせた後、ようやくあんみつを口に運ぶことができた。「おいしい」。その表情から察するに本当に美味しいのだろう。父はこの一年あまり家を離れて施設で生活してきたが、果物とかケーキ、おまんじゅうのたぐいは、おやつや食後のデザートで食したことはあるだろうが、あんみつが提供されたことはなかったに違いない。あんみつを手土産に選んだことは正解だったと確信した。「紀の善、神楽坂の紀の善のあんみつだよ」というと、父の動作が一瞬とまり、「えっ、紀の善のあんみつをここで食べられるとは思わなかった」ともらす。その店を知っているのかと尋ねれば、よく通っていたという。けちらずに高価な紀の善のあんみつをレジに運んだ自分を誉めてあげたい心境だ。「店の人は覚えているかなあ」とスプーンを口に運びながらつぶやく父。麹町の事務所から目黒までタクシーをとばして大福を買いに行っていた父である。麹町からなら徒歩でもいける神楽坂ならそれは何度も通ったことだろう。そういえば、父の定期はJR飯田橋を起点にしていたのを思い出した。麹町なら、地下鉄で永田町・赤坂見附経由で東京駅にでて横須賀線に乗るルートが常識的であろう。しかしあえて地下鉄で逆方向に進み飯田橋で下車、総武・中央線に乗って東京駅に向かうルートを選択したのは、神楽坂界隈の甘いもの屋へ立ち寄ることを前提にしていたのかもしれない。さらに、父がはじめて定職についたのも、飯田橋に事務所を構える出版社であった。もしかすると父は神楽坂の甘味処では半世紀以上にわたる常連客として知られていたのかもしれない。
それこそ蜜の最後の一滴がなくなるまできれいにあんみつを食べた父は、「ご馳走さま。本当に美味しかった」といってスプーンを置いた。今日が何日で何曜日か、ちょっと脳の回路に障害が起きた日には、子供の名前まで忘れる父だが、かつて通った甘味処のことは忘れずに覚えている。私より甘いものの方が重要だったのかと思うと情けない話ではあるが、「最近のことから忘れていくのが特徴です」と、医師が認知症老人の特徴を述べたときの言葉からすればしかたないことなのかもしれない。私より甘いものとの付き合いの方が父にとっては当然長いのだから。「タクシーで買いに行っていたという目黒の大福屋はなんっていったっけ」「○○○」間髪いれずに答える父。近いうちに目黒まで出向いて仕入れてこなければならないかもしない。

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