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函館の女(ひと) [ほっこり]

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彼女と出会ったのは時代が平成に替わって間もない頃のこと。函館の旧英国領事館の中でした。彼女のような生き方をした女性の存在を私はそれまで知らなかったので頭の片隅に彼女のことがしっかりと刻まれたことはいうまでもありません。そのときは何事もなく別れたのですが、数年後、名前もうろ覚えでしかなかった彼女のことを私はなぜか突然思い出したのです。私は彼女のすべてを無性に知りたくなり必死に探しました。そしてようやく見つけ出し再会することができたのです。
彼女の名前は堀川トネ。古臭い名前です。当然でしょう彼女が生まれたのは江戸時代末期なので。函館で生まれ育った彼女は女学校へ入学するため12歳のとき函館から単身上京しました。選ばれて東京の女学校へきたのものの体を壊したため卒業することなく函館へ逆戻り。そのときすでにこれからの日本は女性でも英語力が必要と考えていたのでしょうか将来英語塾を開くと決心しました。しかし教師として招かれていた英国人ジョン・ミルンと知り合い彼女の人生は大きく転換したといえるでしょう。ミルンは後に帝大(現東大)の名誉教授にもなった日本の地震学の父ともいわれる人物。その彼とトネは結ばれたのですが、トネは寺の住職の娘、ミルンはキリスト教徒、今の世の中でもみなさんの祝福を受けてとはならないはず、まして明治時代のことですから障害は並大抵ではなかったに違いありません。でも自らの意思を貫き通して結婚したことから日本で初めて外国人と恋愛結婚した女性ともいわれているそうです。そして彼女が35歳のとき英国ワイト島に移住、その後20年あまり地震・地質の研究に取り組む彼をサポートし続けました。彼の没後も6年間彼女は帰国することなく二人の想い出が浸透したワイト島の地でひとり過ごしたのです。彼女が再び函館に戻ってきたのは函館を離れてから四半世紀以上経た後のこと。その6年後彼女は夫ミルンの待つ天国へ旅立ちました。これが彼女の人生のあらましです。私が彼女に惹かれた理由、美人だったのか可愛かったのかは旧英国領事館の資料室に残された写真からでは判断できないので、時代の風潮や周囲の声に惑わされることなく自分の信念を貫ける強い心の持ち主だったというところでしょうか。
彼女との再会は本を通してでした。彼女の一生を綴った「女の海溝」という本が出版されていることを突き止めたのです。でもすでに絶版になっており出版元に在庫は皆無、中古市場でようやく入手できました。しかしこの本が分厚い上に字がものすごく小さい、原稿用紙千枚を優に超える大作ではないでしょうか。彼女が私の手元にきて10年以上は経っていますがいまだに読了とはなっていません。それどころか読んだのは最初の数ページ、まだミルンにも出会っていないのです。彼女をハワイやイギリス、フランスにも連れていってあげているのに。そう簡単にはすべてを露にしてくれそうにありません。ステイホームのこの夏の間に読破を目指しますか・・・。

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