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ボートンオンザウォーターの惨劇 下巻 [旅]

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携帯灰皿はあきらめるしかない。これを機に煙草をやめればいい。と私は言った。しかし奥さんはあきらめない。靴も靴下も脱いで川に入れば容易に取ることができることはわかっている。しかし灰皿ごときをとるために私がそんなことをする必要もない。まして川に入り込んでいる私を住人に見つけられたら、東洋人が鴨を生け捕りにしようとしていると通報され、駆け付けた警官に逮捕されて国際問題に発展する可能性もある。私はもうこれ以上何もしませんよという意思表示をした。すると奥さんは少し下流に行き川べりにしゃがみこんだ。どうやら川の中に手を突っ込み流れてくる灰皿をキャッチするつもりのようである。川べりの舗道と川の間は少し傾斜しているので安定が悪い。奥さんは片手を差し出し私におさえていてという。どうやらバランスを崩して川に転落することを防ぎたいようだ。それとも川に落ちるときは道連れにしてやるという魂胆だろうか。差し出してくる手を払いのけ、しゃがんでいる奥さんを軽く足でければ彼女だけ川に転落させることもできる。そうなればかつての三浦某氏のように妻殺しの嫌疑をかけられ帰国後はマスコミに追い回される日々が続くのか、犯行がばれなければ携帯灰皿を拾おうとして転落したなどと言わず、けがをしていた鴨を救おうと手を差し伸べたところバランスを崩した、と作話すれば旅先で妻を失った悲劇のご主人として国民の涙をさそうことになるのだろうか。だが転落しても深させいぜい30センチ。溺れ死ぬこともないし、そうなったとしても巨額の保険金が入るわけでもない。いろいろ妄想しつつ私は奥さんの手をしっかりと握っていた。川の中ほどに流されることもなく、なんとか手の届く川べりに灰皿が流れてきた。これを逃したらあきらめるしかない。絶妙のタイミングで奥さんは川に手を入れた。そして奥さんは大事な携帯灰皿をキャッチしたのである。
私たちは鴨の密猟者として地元警察署で冷たいパンを食べ、生温かい牛乳を飲むこともなく、ホテルで豪華な朝食にありつけることができた。水辺で大事なものを扱うときは細心の注意を払うべきできである。私たちが12年前、銀婚旅行で訪れたボートンオンザウォーターで学んだ教訓である。

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ボートンオンザウォーターの惨劇 上巻 [旅]

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明け方、濡れた路面上を走るような車の音で目がさめた。カーテンの端を少しめくって外を見る。まだ夜中の雰囲気だが午前6時は過ぎていた。オレンジ色の街灯に照らされる道路は確かに濡れている。激しい降りではない。大半のイギリス人なら傘を使用することなく歩くであろう程度の雨である。しかし日本人なら絶対に傘をさす降りだ。今日は朝食後早々にチェックアウトしヒースロー空港に向かい夕方の便でリヨンへ発つ。つまり移動日だ。しかし天候は良いにこしたことはない。慣れないマニュアル車を操り、知らない道を走らなければならないのだから。
朝食前、奥さんの一服につきあって外に出る。奥さんは日本から持ってきた折り畳み傘を手に、私は今回の旅に傘を持参していなかったので手ぶらだった。絶え間なく雨は落ちていたが大粒ではないし、しとしととまでもいかない程度の降り。雨に濡れている気はしないがしばらく歩くと髪や服が湿っぽくなっている一番厄介な降り方といえるかもしれない。川べりの公園には誰もいない。当然いかなる店もオープンしていないから舗道を歩く人影もない。ゆったりと流れる小川の音と朝早くから川下りを楽しむ鴨の鳴き声が時折きこえてくる。静寂という言葉がこれほどマッチする村は世界のどこにもないに違いない。小さな橋を渡り、私たちが宿泊したホテルが正面に見える川沿いの舗道で立ち止まった奥さんは、ポーチから煙草をとりだしライターで火をつけた。煙草を吸わない私にはわからないが空気の澄んだこうした場所での一服は、ホームの端の喫煙スペースで吸う煙草よりはるかに美味しいに違いない。住人の迷惑、環境問題などをまったく無視できればの話だが。
「あっ」という声を奥さんが発した。昨今のヨーロッパには煙草を吸える場所は皆無に等しいという私の脅し文句を信じていた奥さんは、今回の旅行に携帯灰皿を持参していた。外で一服するときはその携帯灰皿を利用していたのだが、どうやらそれを川に落としたらしい。幸い携帯灰皿は川底に沈むことなくなんとか浮いている。また川の流れがゆっくりなので下流にどんどん流されるということもない。奥さんは私に助けを求めているようだった。私は奥さんの持っていた傘を奪い取り、傘を裏返して川に差し入れた。ドーム状となって開いた傘の内側で川の水とともに携帯灰皿をすくいあげようという作戦である。ところがだ、緩やかに見える川の流れも意外と強い。傘が裏側に水が入ると傘がどんどん流されるのがわかる。さらにこのまま川の流れに身をゆだねると傘の骨が折れることは間違いない。私は傘の内側にたまった川の水を落としながら傘を川から引っ張りあげた。携帯灰皿はあきらめるしかない。
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太陽は泣いている [宇宙]

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スーパーフレアをご存じですか。イトーヨーカ堂のライバルとして彗星のごとく現れたスーパーマーケットではありません。毎日お世話になっている太陽の表面でおきる大爆発、それがスーパーフレアです。
太陽フレアという爆発はこれまでにもあって地球に影響を与えてきたそうなのですが、その千倍ものエネルギーを放つといわれるスーパーフレアは例がないとか。これまで太陽では起こりえないというのが通説だったようです。では大爆発が起きるとどうなるのでしょうか。日本でもオーロラを見ることができるかもしれないという魅力もありますが、そんなことより被害や損害は尋常ではない規模のようです。大量の放射線や磁気嵐が地球に襲いかかり、まず宇宙空間にある人工衛星が誤作動するなど影響がでます。宇宙飛行士は健康を害するほどの放射線を浴びることになるでしょう。磁場の混乱による高圧な電流によって変圧器が破壊され送電網が断たれいたるところで停電に。過去の太陽フレアでもカナダで大規模停電がおき復旧に数か月かかったそうです。通信機器、電子機器にも影響を及ぼすのでスマホは役に立たないただの塊に。経済活動は混乱し都市機能は完全に失われると予測されています。電子機器を多用する航空機の運航にも支障をきたし大惨事の引き金になりかねません。自動運転の車だっていたるところで制御不能の暴走を始めるかもしれません。やっちゃえ日産などと呑気なことを言っている場合ではなくなるのです。文明機器がまったく利用できない環境になり人々の生活は19世紀初め頃まで戻るかもしれないとさえいわれています。さらに最悪の場合、太陽フレア規模の爆発ならシールドの役割をしてくれる大気もスーパーフレアでは役に立たずオゾン層が消滅してしまう可能性もあるとか。そうなれば人は皮膚がんとなり人類はもちろん地球上の生き物にとって絶滅へのカウントダウンの始まりとなるわけです。ただしスーパーフレアが発生する可能性が明らかになっただけで、それが近い将来絶対に起こると発表されたわけではありません。でももちろんこの時点で大爆発し8分後に放射線が私たちを襲う可能性がないともいえないことは事実です。
人間は暑ければ太陽が雲に隠れることを望み、曇天が続けば太陽を欲します。そんな自分勝手な私たちに対し太陽が、少しは存在そのものに感謝してよとスーパーフレアという切り札を遠慮がちにちらつかせて訴えているのかも。太陽は泣いているのです。そういえば「太陽を泣いている」を作曲した筒美京平さんが先日鬼籍に入りましたね。合掌。

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バスタイム [楽]

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新車の匂いは堪らない。乗用車はもちろんだが私は新車のバスの匂いが大好きだ。
子供の頃から車に興味があった私は、学校帰りに駅前のバス乗り場でバスを待つ間も次々に駅に戻ってくるバスを眺めていた。新型と思える見慣れないバスが駅前広場に入ってくるとワクワクしたものである。バスは駅舎前で一旦乗客を降ろした後、行き先標示を替えてそれぞれの乗り場に向かう。もちろんそのまま車庫に戻ってしまうバスもある。ぐるりとロータリーを廻ってきたバスの行き先標示をみて私の乗るバスだった時は小躍りした。あの塗りたての塗料と新しいシートの匂いがかげるのだから。昔はワンマンカーではないから乗車口は中央部に1ケ所だけ。運が良ければ運転手さんのすぐ横、つまり最前部に座ることができた。塗料の匂いに興奮しつつ最前部に向かい起毛が感じられるシートに陣取る。次は最前部の下部に貼りつけられた煙草の箱大の鉄板を探す。そこにはそのバスの製造元や製造番号、そして製造年月日が刻印されていた(コーションプレートというらしい)。初めて乗る新車でも製造年月日から結構月日は経過していたのだが、車が完成してもバス会社別に塗装し納車されていただろうから、先週完成しましたというようなバスはないのだろうと子供の私は推測していた。バスの数も多くない時代、新車に遭遇する機会など年に何度もない。しかし新車のバスの匂いをお腹いっぱい満喫できるところがあった。それがモーターショーだ。晴海で開催されていたモーターショーでは乗用車やバイクは建物の中で綺麗なモデルさんと共に展示され大混雑していた。しかしバスやトラックはといえばモデルさんの姿もない屋外の空き地。人も多くはなく、どのバスにも待たずに乗車できた。街中を走る乗合バスだけではなく観光地の駐車場でしかお目にかかれない観光バスにも乗れたのだから私にとっては夢のような時間だったのである。
あの頃から半世紀あまり、会場も晴海から幕張や有明に移った。今でも自由に新型バスに乗れるのだろうか。そもそも展示されているのだろうか。いや、鉄道好きの鉄子や大相撲好きのスー女もいる時代だ。バス娘(こ)やトラ女(ジョ)で結構賑わっているのかもしれない。さらに最近はバスに乗る機会もめっきり減ったので不明だが、私が胸躍らされた製造年月日が刻まれた鉄板は現在のバスでも同じ場所に貼付されているのだろうか。今度駅前に停車している発車待ちのバスに用もなく乗って運転席周りをじっくり確認してみるとしよう。あらぬ疑いで捕まるかもしれないが。
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Halloween Collection [楽]

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幼い頃から有楽町は何度となく訪れているが、私は東京都民になったこともないのでかつてそこにあった都庁もきたことがない。つまりその地に立つことは生まれて初めてのことだった。
花嫁、シスター、メイド、ドラキュラといった人目を意識した衣装、メイクの観客たちでホールへつづく幅広く緩やかな階段やゆったりとしたコンコースはあふれていた。その日、私たちが東京国際フォーラムを訪れたのは女性アーティストのライブを観るため。チケットにハロウィンの文字はあったが、観客も仮装すべきだったのかとその場にきて気付いた。開場を待つ間、観客同士がいたるところで写真を撮り合っている。「私の方が凝っていて注目度はあるけど一応撮ってあげるわよ」それぞれがそう思いつつシャッターを押しあっているのだろう。無駄な装飾を一切排除したようなシックなホール内は、開演をじっと待つという雰囲気ではなく異様な熱気が覆う。不気味さを漂わせる音楽が流れホールが一瞬静まる。次の瞬間、スポットライトが彼女を捉えると観客席にまぎれた花嫁やドラキュラたちが一斉に歓声、雄叫びをあげ興奮レベルはマックスに達した。若い女性たちが共感する彼女の歌に私も魅かれたのは彼女がデビューしてかなり時間が経ってからのこと。そして生の歌を聴くのはその日が最初。私の一番聴きたかった曲は歌われなかったが、終始来場者を魅了した彼女のステージはあっという間に終了してしまった。アリーナやドームのような大きな器で開催した方が興行的にはおいしいのだろうが、音響照明設備の整った会場を彼女はあえて推したのだろう。次回は同じ場所で彼女のバラード曲だけを聴かせる落ち着いたライブを催して欲しいものだ。
しかしその日会場にいた彼女のファンたちは、場にそぐわない私たちをみて「メイクアップアーティストに頼んだのかしら、まるで本物の老人」と驚嘆しただろうか。

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しろやぎさんからお手紙つかない [何か変]

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郵便法改正案が提出され、来年秋にも土曜日の郵便配達が廃止になるようです。同時に郵便物の翌日配達も廃止されるとか、でもこちらの件があまり報道されないのはなぜでしょう。SNSがあるから急ぎの連絡はそっちを使ってちょうだいということかと。今回の法案はアベノマスク配布でいらない仕事を増やしたので政府からのお詫び・ご褒美の意味合いがあるのかもしれません。私自身も日本の郵便システムはほぼ間違いなく配達され立派だと思っています。でもたまーにちょんぼします、それもやってはいけない面倒な相手に対して。
ある年の正月、近くに住む叔父から電話がありました。「引っ越したのか?」と。私宛に投函した年賀状が転居先不明で戻ってきたというのです。翌日その年賀状は郵便局員を介することなく叔父から直接手渡されました。どうせ叔父の記した字がみみずのはったような書体で、年末年始だけのバイト学生には解読不可能だったのだろうと思っていたのですが漢字さえ習っていれば誰でもわかる綺麗な文字。パソコン印刷ですから当然です。その年の仕事始めが決まったと嬉しくなりました。まずは私がこの地にいないと判断した地元の郵便局に年頭の挨拶代わりにご連絡。不運にも正月から仕事をさせられているのか、もしくは正月の特別勤務手当目的の局員が対応してくれました。私が礼儀作法に厳格な叔父に元旦早々「引っ越したのなら何故知らせないのか無礼者」と叱責されたとご報告。もちろん作話です。私が転居もしていないのにどうして不明者扱いにされたのか、ふたつの異なる個人の印鑑が押してあるのだから二人がチェックした結果として私の不在を判断したのだと思うがその要因は何かと尋ねました。二つ目の印鑑は責任者と想像するがその方は確認などせず、ただ押印しているだけなのではという言葉も添えて。もちろんクレームはソフトにという亡き父の教えの通り穏やかな口調で話しました。私からの電話に出てしまった局員は局側の完全なミスですと答えるばかり。本件は必ず局長まであげますのでという言葉で私を納得させ手仕舞いしたかったのでしょう。私は「宛先があっていたにもかかわらず、差出人に返送された葉書が一通だけならいいのですがね」と相手側に嫌ーな印象を与える言葉を残して電話を切りました。何かを期待するわけでもありませんが民営化された日本郵便の誠意を示してもらいたい、本格的な仕事始めです。地元の郵便局、つまり支社ではなく本社に文書で本件を報告すべく調べてみると、日本郵便の上に持株会社である日本郵政なる会社が存在することを知りました。親展で投函したところで秘書の手で破り捨てられることは明白ですが私は両社の社長あて、そして苦情対応に慣れたお客様相談室ではなく広報室にも同じ内容の手紙を送付しておきました。
後日地元の郵便局の郵便部長さんが我が家にやってきました。本社にもお手紙をいただきましたそうで今回の件は誠に申し訳ありませんと平謝りです。しかしチェック機能の強化策など私の提案に対する回答は皆無。訪問して謝罪しただけでもご立派な対応といえるのかもしれません。そして私が期待していた郵便屋さんの誠意はというとJAPANブランド泉州タオル。本件は水に流してくれということなのでしょう。

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ザギンでブラモン [楽]

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ひと昔前銀座に行ったときの話です。全国に点在する○○銀座ではありません。本家本元、東京都中央区の銀座です。
日比谷での映画鑑賞を終えた私と奥さんは、喉を潤すために喫茶店を求め数寄屋橋から銀座通り方面に向け裏通りを歩きました。しかし納得のいく店は見つからず、やがて銀座通りに到達。土曜の午後、歩行者天国となった通りでは大道芸が披露され、いたるところに人だかりができていました。きょろきょろしながら歩いていると四丁目交差点付近に建つビルの壁面に「銀座一おいしいモンブラン」の看板を発見。私たちは狭い階段をのぼり入店し、またまた狭い迷路のような店内を案内されて席につきました。アンティーク調の店内のほの暗い照明の下、メニューをみてびっくり、どれもホテルのラウンジ以上のお値段です。私たちはそれぞれアイスティーとコーヒー、加えて銀座一というモンブランをひとつオーダーし、仲良く分け合うことにしました。その味が銀座一だったかどうかはわかりません。銀座にある他の店のモンブランを知らないのですから。でもレジで支払った額は、二人分の映画鑑賞代よりも高額でした。店を出ると先ほどは誰もいなかったのに狭い階段には席が空くのを待つマダムの列が。彼女たちにレシートを見せてあげるべきだったでしょうか。通りにでてから私たちは和光の時計台が背後に映るアングルで記念撮影。まるでおのぼりさんです。フランス人のふりをして誰かに撮ってもらおうかとも思ったのですが、自分で腕を伸ばしてシャッターを切りました。その後、銀座三越の食料品売場を視察し、こんな高い野菜を誰がどこから買いにくるのだろうと呆れたり、日産ショールームに行って、ひと昔前と比べ衣装も雰囲気もかなりおとなしくなってしまったミスフェアレディーに落胆したり、千疋屋前では、目の前に運ばれてきた四分の一カットのウオーターメロンに感動した小学生の頃を懐かしんだりと、久しぶりの銀座を満喫したのです。
でも不快な思いもしました。海外高級ブランド店の前を通ったときのこと。私たちは立ち止まることもなく、ただゆっくり舗道を歩きながら店内の様子を眺めていただけです。にもかかわらず、インカムをつけて正面入口に立っていたSPきどりの黒服のお兄さんは、私たちを見るなりそれまで開け放たれていた扉を閉め、さらに小型マイクに向け何かを囁いたのでした。不審者接近厳戒態勢とはいっていなかったでしょうが好印象をもたれなかったことは事実のようです。店に入り値段も見ずにあの棚にあるバッグを端から端まで全部ちょうだいとでも言い放ちたかったですが、何も日本で買う必要もなかろうと無駄遣いはやめました。本家の銀座でのお買い物はといえば、有楽町方面に戻る途中にあったマツモトキヨシ銀座5th店で購入したコンタクトレンズ洗浄剤と、有名な西銀座チャンスセンターでもなく普通の露店の売場で買った宝くじだけ。近所の銀座でもこと足りたわけです。

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許しの秘跡 [何か変]

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すでに時効ですから懺悔します。中学時代のお話。私は自宅で勉強机に向かっていました。予習復習には縁のなかった私のことですから、多分中間や期末試験を控え深夜放送でも聴いていたのでしょう。机上にあった小さなメモ帳に触れた瞬間直感したのです。「この紙の感触、何かに似ている」謎を解くのに時間はかかりませんでした。
私はKバスの回数券をとりだし紙質がほぼ同じであることを確認。さらに極細のブルーのサインペンを取り出しました。メモ帳に試し書きしてみるとインクの色もまったく同じ。私はちょっとやってみようかという気になってしまったのでした。勉強以外での集中力は病的だった私。加えて手先の器用さはベトナム人なみ。メモ帳が小さいため、11枚綴りの新品の製作は不可能と判断、1枚のメモ帳に3,4枚程度を作成したと記憶しています。本物を横に置き、定規を使って慎重に正確に模写したのです。インクのにじみもなく、素人には絶対に見分けがつきません。作品を制作する過程で私はアーティストとして妙な満足感を得ていました。裏面も描き、最後に切り取り用のミシン線を丁寧にいれ完成。多分1枚10円券か15円券、それを3,4枚製作するのに朝までかかったのではないでしょうか。それほど細かい作業だったのです。私は親にみせてみようと思い、その回数券を居間のテーブルに置き、試験のことも忘れて短い眠りにつきました。ところが朝起きるとその回数券がみつかりません。朝寝坊だった母はその存在すら知りませんでした。出勤前にネクタイ締めて掃除機をかけることを日課としていた父が捨てたに違いありません。私の努力の結晶を簡単に処分した父親を呪いました。連日帰りの遅かった父に何日後かにようやく会ったとき、あの回数券をどうしたのかと訴えると信じられない答が返ってきたのです。「使ったよ」。あれは私が作った偽回数券だと父に告げると、「そんなことは知らない。使っちゃったんだから」とまたまた思わぬ回答が。その後、新聞に「Kバスで偽造回数券発見、背後に巨大犯罪組織か」という報道もなく、我が家に警察が踏み込むこともなかったことはラッキーでした。もちろん父から偽回数券の追加発注もありませんでしたが。
高校に入って私はKバス同様地元を走るEバスで車掌のバイトをしました。当時のバスにはまだ車掌さんが必ず乗車し、次の停留所名を告げたり、踏切ではバスから降りて誘導したり、走行中の車内で乗車券や回数券を販売したりしていたのです。私はそこでも罪を犯しました。でもそのことはいくら時効だからといって懺悔することはできません。回数券偽造も犯罪でしょうが、自分ではいたずら半分の感覚。しかしこちらは完全な犯罪行為と認識しているからです。Eバス株主の皆様には深謝します。でも半世紀経った今もそのバス会社は健在。私の犯罪も大勢には影響なかったのでしょう。

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ノーベル経済学賞受賞者は衝動買いをどう理論づけるだろうか [楽]

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私には衝動買いしたという記憶がありません。小学校低学年の頃から個人の貯金通帳を自分で管理し、さらに手帳サイズのお小遣い帳も持っていて入出金を正確に記録するほど几帳面な子供だったのです。幼い頃から金銭感覚を身につけさせようと、金銭感覚の欠如した両親に持たされていたのでしょう。親の期待に応えるように、お年玉から毎月の小額のお小遣いまで私はコツコツと銀行に預けました。もちろん窓口のお姉さんがきれいだったからではありません。当時は簡単には入手できなかったディズニーグッズ欲しさに銀行に預けていたのかもしれません。預金高は3桁からすぐに4桁になりそれが徐々に5桁に近づくにつれ自然と頬がゆるんだものでした。かといって貯めるだけの守銭奴だったわけではありません。欲しいものがあれば、それを手に入れるための目標額に向けせっせと貯金に励んだのです。外国製のミニカー、レーシングカーセット、自転車、ラジオ、テープレコーダー、バイク、成長するに従い当然目標設定額は増加していきました。そして到達すれば一気に使いきっていたのです。計画的で堅実、衝動買いなどというワードの存在を否定していた私ですが、衝動買いをしなかったことを後悔しているモノがあります。それはアニメでお馴染み「バックスバニー」の木彫りの人形です。それを見つけたとき私は小学校低学年ではなく、すでに40歳代半ばを過ぎていました。仕事でニューヨークに行った際に彼と出会ったのです。身長30センチぐらい、木製ですから重量感もありました。決して丁寧な彫りではありませんでしたが、世に出回るぬいぐるみやプラスチック製の兄弟たちに比べ、圧倒的な存在感がありました。値段も20ドル弱。絶対のお買い得品でした。しかし彼の搬送を考えレジに行くことを躊躇してしまったのです。手荷物で機内に持ち込むには私自身少々歳をとりすぎていました。手荷物検査所や機内で変質者を見るような視線を浴びせられるのはもうこりごり。かといってスーツケースに入れれば細部が折れて破損する危険性が高かったのです。熟慮の上、次回訪れるときまでには最善の搬送方法を考えてくるからと彼と約束して店をでたのでした。それ以来私はニューヨークと無縁です。彼をあの時持ち帰っていれば、今頃我が家の玄関に、福助と並んで陳列されていたことでしょう。買って後悔するより、買わないで後悔する方が人間長くひきずるようです。

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夢のお話し [楽]

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二回ほど夢の中に象がでてきました。最初はジャンボジェットも入りそうな巨大な倉庫の中でおとなしく立っている象。でも動物園で見かける象とは明らかに異なりとてつもなく巨大な象でした。マンモスではありません。クエとアブラボウズは外見でも食べても区別はつかずとも象とマンモスの違いは私でもわかります。絶対に象でした。インドの街中を闊歩する象のように背中には綺麗な敷物のようなものがかけられていましたからきっと高貴な象だったのでしょう。誰かに「倒れてくるかもしれないのであまりそばによらないように」と注意されたことまでは覚えているのですが・・・。二回目に登場した象の詳細は記憶にありません。でも目覚めたとき今日も夢の中で象に会ったと確かに思ったのです。何かの暗示かと思い早速インターネットの夢判断や夢占いのサイトをのぞくと、象の夢は幸運・金運をもたらす吉夢とのこと。さらに背中に乗っていれば近々権力や名声を得ることになるらしいのです。宝くじで大当たり?芥川賞受賞?日銀総裁就任?夢は膨らみます。今度見つけたら絶対象の背中に乗ってやろうと考えてはいるのですが、私そのものも夢の中では象だったとしたら私は単なる子象にすぎないということになってしまいます。巨象の背中に飛び乗る前に蹴り飛ばされてお終いかもしれません。
半世紀以上生きている私ですから象に遭遇する前にもいろいろな夢を見てきました。最近でもたまにみる夢は、跳び箱とか鉄棒とか私の苦手な種目が予定される体育の授業を明日に控えた前夜の夢です。寝れば否応なしに朝を迎えることへの恐怖。もっとも近頃は、「すでに私は大人だ、体育とは無縁、これは夢だ」と夢の中で叫ぶようにしています。でも目覚めの悪い夢にはかわりません。生涯で一番衝撃を受けた夢といえば40年以上前に見た夢でしょう。私は当時ロンドンでホームステイしていました。もちろんそこは英国人家族の家、誰も日本語を話しません。滞在後何ヶ月かして彼らが夢の中に登場したときのこと。私を囲んでいつものように夕食をとるご主人、奥様、子供たちまでが、なんと流暢な日本語で会話していたのです。声もそのままでした。英会話の習得を目指し英国で暮らしていた私のモチベーションが翌朝からかなり下がったことを覚えています。
もっともどんな夢でもその記憶があることは幸せだと思わなければいけません。夢占いのサイトを探す中で怖い事実を知ったのです。夢は左右の脳を繋ぐ脳幹で発生し睡眠時活発になる右脳でストーリーが形成されるらしいのですが、右脳に出血や梗塞などの障害が起こった人は夢をみなくなるというのです。実際には見ていても、右脳で見た夢の内容が左脳に伝わらず結果として表現できない、夢をみていないということになるようです。皆様は最近夢をみていますか?

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