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プロ野球選手がForbes長者番付上位にランクインする可能性を考察する [楽]

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新型コロナの影響で開幕も遅れ試合数も減ったペナントレースも終わりが近づいています。今年は偶然にもセパ両リーグとも、テレビ画面を通してですがリーグ優勝の瞬間にリアルタイムで立ち会うことができみました。パリーグは今年もクライマックスシリーズがあるようで、リーグ優勝チームも10ゲーム以上の大差をつけた2位チームに短期決戦で敗れれば日本シリーズに進めないという理不尽な現実と向き合わなければなりませんが。
昭和30年代から40年代にかけ、プロ野球選手は子供たち憧れの職業でした。大人はおとなで、年俸1000万が一流選手の証といわれたその時代、誰それが超え たとか、他人の懐を推測する新聞記事を羨望とねたみの眼差しで読んでいたに違いありません。野球選手は50年前と変わらず子供たちの憧れの職業、なりたい職業ではいまだに上位に位置しています。しかし全体に対する比率は大幅に減少しているに違いありません。年俸2億3億稼ぐ野球選手はかなりいるでしょうが、IT時代の寵児たちをはじめ、スポーツではない世界で若くして億単位の稼ぎをあげる人が珍しくない時代。日本シリーズを制し歓喜のビールかけをした数日後には、山ごもりして苦痛の表情でトレーニングする選手をみたら、興ざめする子供が多いのではないでしょうか。シーズンオフにバラエティ番組に登場してアイドルたちとおちゃらける選手をみて憧れる子供はいるかもしれませんが。スターといわれるほどの選手ならシーズンオフはマスコミも追っかけてこられないカリブ海の別荘でのんびりすごすとか、バットを銃に持ち替えスコットランドで狩りに興じるとか、一般人がかなえられそうにないことを平然とやってのけて欲しいものです。日本の球界にいては年俸の桁が少なくてとても不可能なこと? であるなら球団を経営する側が、球団にたくさんのお金が転がり込むこれまでの常識を打ち破る画期的な施策を講じなければ。きっと何かがあるはずです。打ち出の小槌を最初に発見するのはどの球団でしょう。もちろん私が第一発見者になったら一番高い値をつけた球団に小槌をお譲りしますが。
四角い夜空にむかう薄暗い階段をのぼりつめると、眼前に広がるカクテル光線に照らされた天然芝とグラウンド。そこに点在するスター選手たちを見て感激した私の幼少時代。シーズンオフ突入と同時に自家用ジェットで日本を離れるスター選手を垂涎の眼差しで見る私の老年時代がくることを祈ります。

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年賀状概論 [楽]

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来年の年賀状が発売されました。ブームに便乗して「鬼滅の刃」のイラスト入りも販売されたとか。それでも発行枚数は年々減っていて今回は前年より4億枚少なく19億4000万枚、ピークだった2003年の半分以下だそうです。
私も師走が近づいてくると、年賀状の内容をどうするかで例年頭を悩ませています。年内に年賀状を書くなんておかしい、宛名も文面もすべて印刷なんて失礼だなど、なんだかんだ文句はつけつつもやっぱり年末までに投函しないと正月が迎えられないような気がしてしまうのです。私も数年前までは、文面は印刷でも宛名は住所録とにらめっこしながら相手の方の顔を思い浮かべつつ毛筆(筆ペンですが)で書いていました。しかし、ワープロ、パソコンの普及に抵抗することはできず、静かに筆をおき、便利な宛名ソフトにたよって年賀状の宛名を書くのではなく作成するようになってしまった次第です。もちろん最初は抵抗があり、これなら出さなくもいいのでないかと思いもしましたが、元旦に年賀状を受け取っていただくということに意義があるのではないかと自分を納得させました。「私」が何をしているのかが先方にわからなくてもいい、とにかく「私」は生きているということを、昔お世話になった方々に知っていただく手段として年賀状を活用しようと考えるようにしたのです。宛名を書くことはなくなってしまったのですが、印刷された年賀状をながめながら先方の顔を思い浮かべることは忘れていません。それすらしなくなったらそれこそ日本郵便の売上増加とバイトの学生さんの懐具合を向上させるだけの、私にとって季節の無駄なお仕事となってしまうわけですから。12月になると我が家にも数は多くありませんが海外からクリスマスカードが届きます。こちらも年賀状同様、もらったときに「ああ、まだ生きていてくれた」と思う瞬間が嬉しいのです。こちらがカードを送った相手もきっとそう思っているに違いありません。
例年なら年賀状のデザインで悩むこの時期ですが、今年はその必要がなくなりました。それでもちょっとでも先方の心に響くものにしたいと苦悩している自分がいます。簡素であるべき喪中はがきに本来そんな必要はないことはわかっているのですが。

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そうだ選挙にでよう [楽]

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よその国の大統領がどちらになるのか、連日テレビで報道されています。投票が終わったところで、両候補ともすんなりとその結果を受け入れるとは思えない異常な状況のようですが。海の向こうのこととはいえ、日本とはとても関係の強い国、選挙後にかつての南北戦争、スペインでの市民戦争のような内戦状態にならないことを願うだけです。
ところでこの私、親類縁者に政治家がいたわけではありませんが、小学生の頃からテレビの開票速報が好きで選挙の都度欠かさず観ていました。人の名前と数字の羅列が中心となる番組なのに、時折中継される万歳の歓声で沸く選挙事務所、ただの人となった元代議士の落選の弁などをなぜかワクワクする思いで観ていた記憶があります。選挙オタクというところでしょうか。私は当時すでに私の両親の支持政党を家に届けられる新聞で理解していました。もっともその党の理念と、両親の日々の言動・生活ぶりのギャップに疑問を持っていたことも事実です。代々木に本部を置くその政党、昔は各選挙区でことごとく落選。下位当選者の投票数と比べても2桁は違うダントツの最下位ですから無理もありません。そういう党としての下積時代を知っていたので、70年代初頭に田中内閣が発足した年の総選挙で、その党が一挙に40名近くを当選させたときは、これで日本にようやく夜明けがくるのかと勝手に解釈したのですが・・・。
あれから半世紀、お日様はいまだに沈んだまま。安倍退陣で一時は解散総選挙近しと噂されていましたが、国民のために働いてくれている菅内閣によほどのスキャンダラスな事実が浮上しない限り、当面選挙特番を楽しむことはできそうにない状況です。でもそろそろ選挙特番で万歳をしているところ、マイクを向けられているところ等、映される側にまわってもいいカナと。地元や国のためでなく、自分自身の利益のためだけに活動する腹積もり覚悟は充分できているのですが。今の政治家の皆さんのように。

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おすもうの時間 [何か変]

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私の通っていた小学校には、午前中「中休み」がありました。通常の休み時間は5分ですが、2時間目と3時間目の間に設定された「中休み」は15分。クラスの半数ぐらいは校庭にでて、ゴムボールでの野球、ピンポン(といっても卓球台を使用するわけではなく、地面に「田」という4分割された枠を描き、その枠の中にひとりずつはいってゴムボールでする遊びですが)、その他ドッジボール、女子はゴム縄跳びなどをして過ごしていたものです。私には、その「中休み」がくるのが待遠しくてどうにも1・2時間目の授業に実が入らない時期がありました。理由はお相撲です。
5・6年生の時、江ノ島の方から通う増田君という友達がいました。彼は背丈こそ私と同じぐらいでしたが華奢な体型で、ずんぐり型の私とは好対照。彼といつの頃からか砂場で相撲をとるようになったのです。素人からみるとどうみてもあんこ型の私の方が、そっぷ型(この語源はスープ、その素となる鶏がらのように痩せたという意味だとか)の増田君より優位とみるでしょう。ところがどっこい彼は相撲巧者で業師。四つに組めば間違いなく私は砂場に転がされていました。突っ張りか押しとおして一気に彼を砂場の外に突き出すか、奇襲作戦しか私には勝機がありません。ですから1・2時間目は、今日はどうやって四つに組ませないか、立会いとともに左右どちらかに飛んでかわすか、はたまたもぐりこんで彼の足を取るかなど、戦略を練る時間にあてていたわけです。でも戦果はあがらず、いつまでたっても横綱に新入幕力士が対戦するようなもの。私の勝率は通算2割に満たなかったと記憶しています。
大相撲11月場所が間もなく始まります。例年11月場所は九州場所として福岡で行われていましたがコロナ禍の今年はまたしても両国国技館での開催。正代の昇進によって大関が3人、それもすべて日本人力士です。誰が最初に横綱争いの先頭に立つのか相撲ファンの期待も大きいのでは。ところで11月場所も両横綱を筆頭に幕内には11人の日本語の達者な外国人力士がいます。相撲ってどこの国技だっけと疑問に思う人も多いでしょうが、元横綱朝青龍がかつて「外国人力士の活躍を危惧するより、外国人が相撲に興味を持ってくれていることを日本人は誇りに思って欲しい」というようなことを言っていました。訳あって大相撲の世界から去った力士ですがいいことを言います。確かにその通りです。でもやっぱり日本人に頑張って欲しい。そのためにも小さい頃から相撲をして欲しいとは思うのですが、今の小学生って遊びとして相撲をちゃんととれるのかという疑問もあります。もっとも今の世の中、我が子が砂場でいつも投げ飛ばされていたら「クラスメートにかわいがられている」と大騒ぎする親がいるのかもしれませんが。

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勝手にシンドバッド [旅]

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コロナ禍で人々が外出を自粛するずっとずっと昔のゴールデンウイーク(GW)の最中、鎌倉の稲村ガ崎から七里ガ浜、腰越を通って江ノ島まで、波打ち際をのんびり歩いたことがありました。中学生の頃は海に向かって石を投げたり、海岸に捨てられた手漕ぎボートで無謀にも川を上り途中で沈没して溺れかけたり、夏でなくとも毎日のように学校帰りに海に行って時間をつぶした記憶があります。結婚してからは子供と一緒に海に行き、キラキラと輝く海面を眺めながら缶ビールを片手に海岸近くのお肉屋さんで調達したコロッケを頬張ったものですが、子供が成人した今では海に行く機会は花火大会のときぐらい。砂浜を歩くことなどほとんどなかったのです。
かつて暴走族が大乱闘を繰り広げた稲村ガ崎から江ノ島に抜ける134号線は、月に何度かは車で走りますが大抵は渋滞。でも冬であろうが窓を全開にして潮風を感じつつ、車中からサーファーを眺め「波もないのに馬鹿じゃないの」とか、浜辺を歩くカップルをみては「今が幸せのピークだよ」、並行して走る満員の江ノ電を見ては「休みの日にラッシュ並みの電車に乗って楽しい?」などと悪意に満ちた言葉を浴びせながら渋滞を楽しんでいます。そんな私も車から見おろしていた砂浜をなぜか無性に歩きたくなったのです。渋る奥さんを連れだって電車とバスを乗り継いで稲村ガ崎へ。その日は江ノ島の向こうに富士山を見ることこそできませんでしたが、風もなく穏やかな晴天。私たちの前には波もほとんどない青く静かな海が大きく広がっていました。何時間も要することなくこの浜に立てる幸せを感じずにはいられません。振り返って134号線を見ればGW中とあっていつもの週末以上の大渋滞でした。車中で「あの二人はこの風景にマッチしない」「入水自殺でもするんじゃないの」と囁かれていようが関係ありません。狭い車の中でつまらない音楽きいてないで、都会じゃ聴けない波の音にじっくり耳を傾けなよ、ゴム草履や裸足で砂浜を歩きなよ、水虫も治るから、その渋滞じゃ目的地に着くのは夕方だねと教えてあげたい気分でした。由比ガ浜や材木座に比べアクセスがあまりよくないせいか浜辺には人も犬もまばら。この辺りの海は急に深くなるので遊泳禁止区域、危険といわれていますが場所によっては遠浅なこと、波打ち際は海に向かって傾斜しているので意外と歩きづらいこと、落ちているゴミが案外少ないこと、いつもは路上・車中から眺めていた海岸を実際に歩いてみるといろいろと発見がありました。腰越付近では波打ち際で甲羅干ししていた小さな亀にも遭遇。すぐ近くにいながら鎌倉入りを許してくれない兄頼朝宛に、心情をせつせつと綴った腰越状を握りしめ涙する義経の姿を若い頃のその亀が見ていたかもしれないと考えると感動ものでした。
腰越漁港で義経も食したであろうシラスを買った後に江ノ島へ。さすがGW、そこは人ヒトひとで溢れかえりまるで原宿の竹下通り状態です。海岸を歩くこととともに当日のミッションだったさざえのつぼ焼きにありつくことは叶わず香りをかいだだけ。浜辺はともかく江ノ島のような観光地へは仕事を休んで平日行くに限ると実感したGWの1日でした。

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何もしない愉しみ [楽]

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ジュリア・ロバーツ主演の映画「食べて祈って恋をして」を観てのお話し。私は特に彼女のファンでもないですし、混雑は避けたいので封切されたばかりの話題の映画を見に行くことも少ないのですが、この時は足代かけて封切直後に東京の映画館に足を運びました。美味しそうなタイトルに釣られたのかもしれません。
ストーリーは彼女演じる自由気ままというか自分勝手なニューヨーク在住のライターが、夫を捨て自分探しの旅にでて、イタリアで食べ、インドで祈り、バリ島で恋をするというもの。こんな女性が本当にいる?こんなわがまま許される?と思うような内容でしたが、彼女が現地で知り合った友人とバル(Bar)で食べていたピッツァやパスタが画面いっぱいに映し出されたときには生唾を飲んだことは事実。3D映像プラス臭いがでる映画だったら思わずスクリーンに手を伸ばしていたに違いありません。映画鑑賞後には、いつも立ち寄る軽食屋でホットドックを食べる予定だったのに、私も奥さんも無性にパスタを食べたいと思い別のカフェにいったことからして、映画の中で料理を作ったシェフはもちろん、ライティング等を担当した撮影スタッフには感服です。また主人公がイタリア人から「アメリカ人は愉しむことを罪悪だと思っている」と言われていたのには驚かされました。じゃあイタリア人は日本人のことはどう思っているのでしょう。アメリカ人より日本人の方がその意識ははるかに上をいっていると思うのですが。どうやらイタリア人はアメリカ人と異なり何もしないことを愉しんでいる、その歓びを知っているといいたかったようです。まあ確かに何もしない以上の歓び、贅沢はないでしょう。定年になって働かなくなったら老いが早い、人は何かをしていないと呆けるという人がいますが、イタリア系の血が入っていないものの私は何もしなくても呆けない自信があります。何もしない、時計にしばられない好き勝手な生活に順応できると確信しています。ソファに横になって本を読む、畳の上でゴロゴロしながら猫と遊ぶ、気が向けば歩いて浜辺に行って波の音をききながらボーっとする、ドライブがてら湖にいって鏡のように静かな湖面をみつめ続ける、ときにはレシピを見ながら料理をつくるとか。真剣に何かに取り組んでいなくたって生きていけると思っています。もちろんそれなりの貯えがなければ無理な話ではありますが。
映画の主人公はライターでした。原作者の自叙伝のようなのですが、ライターって職業はひとつ当てればご主人に莫大な慰謝料を払っても、1年余り世界を放蕩できるだけの収入が確保できるのでしょうか。だとしたら、私もここらで真剣に執筆活動に入るべきかもしれません。でも真剣に取り組もうと自らを奮い立たせているようではイタリア人に鼻で笑われそうですが。

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Dreams Come True [楽]

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ホテルで催されるパーティーに行ったときのことです。華やかなロビーフロアからエレベーターに乗りパーティー会場の催されているフロアで降りるとそこはまるで廃墟。床も分厚い絨毯ではなく板張りです。廊下を歩くのですが人影はなく窓から見える景色もなぜかセピア色でした。乗ったときは最新型だと思っていたのに廊下の床とずれが生じていて正確には停止していない旧式のエレベーターで慌ててロビーフロアへ。怖くなってさきほど乗った隣のエレベーターを利用すると無事パーティー会場に行くことができたのです。パーティー会場はたくさんの子供たちが愛嬌あるな着ぐるみたちを取り囲むみ、色とりどりの風船が飛び交うとても明るい雰囲気でした。そんな奇妙な夢を見たことがあります。
不謹慎かもしれませんがある葬儀に参列する際、時間調整のために立ち寄った斎場近くの本屋で本を買ってしまいました。それも私が将来芥川賞をもらったとき「この部分は○○に酷似している」などと受賞後にいいがかりをつけられないよう極力読むことを避けていた他人の書いた小説です。ミステリー作家として幅広いファン層を持つ彼の作品には映画化、テレビドラマ化されたものも数多くあります。まあそれだけ売れている作家の力量を知るために購入したわけです。当然葬儀開始までの間に読破できるわけもありません。その日から少しずつ読み進んだのですがいつまでたっても何がミステリーなのかわかりません。本編とは関係のないところで発せられる主人公の言葉に「確かに、旨いことをいう」と納得する箇所はありましたがストーリーの展開が私の読解力が衰えたのか見えてこないのです。もしかしてここがこの小説の核心?と思ったときには残りページはごく僅かになっていました。これを読んで一般人が魅了されているのだとしたら・・・。
夢の内容を克明に覚えていることなど滅多にありません。でも冒頭のホテルでの異様な経験は目覚めたときにもその情景が鮮明に脳裏に残っていたのです。私は蒲団を畳みながらこれは小説にできる、印税生活が始まる、映画にも間違いなくなるとほくそえんでいました。さきほどまでみていた夢がヒントになって映画化されたときのキャスティングまで起床と同時に構想したことなど記憶にありません。でも問題があります。物語の骨子はイメージとしてはっきりとあるのですが、鍵となる導入部分がまだ浮かんでいないのです。そこさえクリアすればこれは迂闊にも読んでしまった有名作家のミステリーよりもはるかに面白いストーリーになるはず。読者をあと1ページもう1ページとなかなか本を閉じさせない状況に陥れ、最後に唖然とさせる自信があります。おおまかな展開も今は言えません。単行本になったら買ってください。本当の夢物語にさせないよう緩みきった脳味噌に刺激を与えプロローグを練ることにします。

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クレーマークレーマー [怒]

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クレームは受け手にとってビジネスチャンス。商品に対してクレームがあった場合、その対応に満足すれば顧客が再度その商品を購入する割合は80%、不満があってもクレームをしなかった顧客の再購入率を上回り、逆に受け手側の対応が悪いと再購入率はゼロになるという法則があるそうです。
私は決してクレーマーではありません。相手側のことを思って消費者として利用者として私の感じたことを素直に述べるよう心がけているだけです。CDコンポ(死語?)が出始めの頃、P社の製品を買いました。当時は音響製品では世界に知られていたブランドです。ところが購入1年後ぐらいに音がおかしくなりました。すぐに購入した店に連絡しないでメーカーのお客様相談室に電話したのですから、私がいかにその企業のことを思っていたかご理解いただけると思います ?? 相手の回答は1年経ているので保障期間ではなく有償修理になりますとの1点張り。まるで私が有償修理を拒むクレーマー、さらに製品の扱い方にも問題があるような物言いでした。「クレームは穏やかな口調で」と父から教わっていたのですがさすがにこちらも頭に血が上り言葉が荒くなっていきます。その結果最終的に相手も熱くなったのか「P社製品を信頼して買ったのに」という私の発言に対してとんでもない暴言を吐いたのです。「機械モノなので10年壊れないモノもあるし、1年でだめになるモノもある」と。メーカーとして最大の失言でしょう。私は相手の名前を聞いて電話を切りました。そしてその会社の広報室に電話したのです。もちろんお客様相談室の担当者の名を告げ口するようなことはしません。電話で対応した方が誰であろうと私には関係ない、メーカーとして絶対言ってはいけないことを言うような社員を消費者との接点に配置する貴社に呆れるといってやったのでした。もちろん我が家に今現在P社の製品は何ひとつありません、といいたいところですが、30年以上経てもなお、そのコンポ我が家で立派に稼働しています。お金を払って修理したのです。一方、近所のスーパーで買った納豆を食べていた我が子が「アンモニア臭い」といったときのこと。私が嗅いでも確かに臭かったので大手ではない茨城のメーカーに電話をしました。丁寧に対応してくれ、製品が痛んでいたわけではないことを私も納得しました。すると何日後かにその会社から手紙が届いたのです。電話で説明されたことをさらに詳細に、製法も加え便箋2枚に綴られていました。もちろんお子様に不快感を与えたことは大変申し訳ないという一文をそえて。小さくても立派な会社だと私は思いました。
かつてJリーガーが彼女と一緒にホテルのレストランで食事中だと、そのホテルの従業員がツイッターに書き込み問題になったことがありました。そのホテル、以前私が従業員の接客態度に立腹し総支配人宛に怒りの手紙をしたためた外資系の五つ星といわれるホテルだったのです。その詳細はまた別の機会にしますが、私の苦言が全く活かされておらず大変残念に思ったことは事実。闇雲に文句をいうクレーマーと、私のように善良な消費者・利用者の区別がつかず、全く耳を傾けないようなホテルはいずれ日本から撤退することになるだろうと思いました。あれから数年、今でもそのホテルありますが。

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自殺は罪Ⅳ [怒]

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飛び降り自殺したと思われる人の巻き添えで歩行者が亡くなるという悲惨な事件がおきてしまいました。コロナ禍での相次ぐ芸能人の自殺、そして今回の悲劇、メディアはこうしたニュースを伝えた後に、「あなたはひとりじゃない、こちらに連絡を」と自殺を視野に入れて悩んでいる人に対してでしょうか、相談先を告知しています。でもそれよりもっと知らせるべきことがあるのでは。
人を殺せば罪に問われます。同じく自らの手で自分の命に終止符をうつことも罪、自殺も犯罪だということをなぜもっと強く訴えないのでしょう。世の中には生きるために、他の人の臓器や角膜提供を待望している人が大勢います。自殺する人の臓器や角膜でも多くの人が救えたはずです。自分一人が死ぬことは多くの人の生きる権利をも奪うことになる罪深いことだということをなぜ知らせないのでしょう。コメンテーターと呼ばれる人の誰一人としてなぜそれを言わないのでしょう。人を殺せば罪だということ同様、自らの命を自らで絶つことも同じく罪だと、今すぐにでも学校で教えればいいのです。
自殺は人に与えられた権利では絶対にない、立派な犯罪なのです。

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黒玉(クロダマ) [楽]

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密を避けるため、今年は軒並み花火大会が中止になりました。多く方が犠牲となり、家族や友人を失って悲しんでいる方々が大勢いるのだから自粛すべきと中止が相次いだ東北大震災の年と同じです。
私の幼少時代、地元の花火大会の日には通常運行している定期バス路線とは別に各地域から海岸に直接向かう臨時バスが走っていました。海から少し離れたところに住んでいた私たち家族もそのバスを利用して開始時刻の何時間も前に会場入り。できるだけ見やすい場所を砂浜に確保し、家から持っていったおむすびを頬張り麦茶を飲みながら花火が上がるのを待っていました。中学高校に通う頃には家族とではなく友人たちと海岸へ。花火を見るというより焼きとうもろこしにかじりつき、打ち上がる花火の音と見物客の歓声をバックミュージックに現在の海の家ではみかけないスマートボールや射的、金魚吊り、ヨーヨー吊りに興じていました。結婚後、子供が小さい頃にはベビーカーを押して海に向かい昔のように潮風を受けながら砂浜で花火そのものを楽しみ、時には昔と異なり様変わりしたお洒落な海の家のテラス席で優雅に花火鑑賞したものです。子供が成長して親と行動を共にしなくなったここ何年かは途中のコンビニで焼き鳥やビールを調達しながら奥様とテレテレ歩いて海岸に向かい、地元発祥の有力スポンサーがついて華やかになった花火ショーを見ることが私の夏唯一の娯楽となっていたような気がします。
今年はコロナの影響による花火大会中止で花火師や花火製造会社だって仕事がなくなり大打撃を受けているはずです。そうした状況下、様々な人たちが知恵を出し合い協力し、三密予防策のため告知なしではありますが、各地で突如花火が打ちあがり住民を喜ばせてくれました。観る人の誰もが来年は何も気にすることなく、もっと長い時間楽しみたいと思ったに違いありません。超短時間であっても空を見上げる人々を感動させることができる花火の力は本当に偉大です。
一方永田町では、デジタル庁創設、携帯電話料金大幅値下げ、不妊治療の保険適用等、菅新政権は、これまでの新政権誕生直後同様、大きな花火を次々と打ち上げています。
 威勢よく あがれど開かぬ 花火かな
国民のひとりとしては、せっかく上げたのですからみんな綺麗に華開かせて欲しいと願うだけです。

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