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黒玉(クロダマ) [楽]

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密を避けるため、今年は軒並み花火大会が中止になりました。多く方が犠牲となり、家族や友人を失って悲しんでいる方々が大勢いるのだから自粛すべきと中止が相次いだ東北大震災の年と同じです。
私の幼少時代、地元の花火大会の日には通常運行している定期バス路線とは別に各地域から海岸に直接向かう臨時バスが走っていました。海から少し離れたところに住んでいた私たち家族もそのバスを利用して開始時刻の何時間も前に会場入り。できるだけ見やすい場所を砂浜に確保し、家から持っていったおむすびを頬張り麦茶を飲みながら花火が上がるのを待っていました。中学高校に通う頃には家族とではなく友人たちと海岸へ。花火を見るというより焼きとうもろこしにかじりつき、打ち上がる花火の音と見物客の歓声をバックミュージックに現在の海の家ではみかけないスマートボールや射的、金魚吊り、ヨーヨー吊りに興じていました。結婚後、子供が小さい頃にはベビーカーを押して海に向かい昔のように潮風を受けながら砂浜で花火そのものを楽しみ、時には昔と異なり様変わりしたお洒落な海の家のテラス席で優雅に花火鑑賞したものです。子供が成長して親と行動を共にしなくなったここ何年かは途中のコンビニで焼き鳥やビールを調達しながら奥様とテレテレ歩いて海岸に向かい、地元発祥の有力スポンサーがついて華やかになった花火ショーを見ることが私の夏唯一の娯楽となっていたような気がします。
今年はコロナの影響による花火大会中止で花火師や花火製造会社だって仕事がなくなり大打撃を受けているはずです。そうした状況下、様々な人たちが知恵を出し合い協力し、三密予防策のため告知なしではありますが、各地で突如花火が打ちあがり住民を喜ばせてくれました。観る人の誰もが来年は何も気にすることなく、もっと長い時間楽しみたいと思ったに違いありません。超短時間であっても空を見上げる人々を感動させることができる花火の力は本当に偉大です。
一方永田町では、デジタル庁創設、携帯電話料金大幅値下げ、不妊治療の保険適用等、菅新政権は、これまでの新政権誕生直後同様、大きな花火を次々と打ち上げています。
 威勢よく あがれど開かぬ 花火かな
国民のひとりとしては、せっかく上げたのですからみんな綺麗に華開かせて欲しいと願うだけです。

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フライングゲット [楽]

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ワインに興味のある人なら誰でもその名を耳にしたことがあるに違いないボジョレーヌーボー。その年にボジョレー地方で獲れたぶどうで造られた新酒のことですが、それを口にできる解禁日は世界共通で毎年11月の第3木曜日午前0時と定められています。今年は11月19日が解禁日ですが、10月もまだ数日残っているというのに、もう成田空港に到着しはじめているそうです。
私がワインの輸入会社にいた80年代半ばはワインブームの走りでした。日本は時差の関係で本場フランスより8時間早くボジョレーヌーボーを味わえるので、成田空港近くのレストランなどで世界一早くヌーボーを飲もうというイベントまであったほど。実際はニュージーランドの方が日本よりちょっとだけ早く解禁されるのですが。ワイン好きにとっては年に1度の新酒を楽しむお祭りなのかもしれません。でも輸入業者にとっては過酷な1日だったのです。大手の輸入元は19日午前0時以前に都内にある自社の保税倉庫にすでにモノを搬入しており、日付が変わったと同時にお客様の元へ届けることも可能でした。しかし小さな輸入業者はそうはいきません。解禁日早朝、空港で通関をパスしたワインを引き取り、都心にあった会社に運びます。会社到着は昼前後、それから開梱しボトル1本1本に輸入元などが記載されたシールを何人かで貼らなければなりませんでした。当然事務所に運び入れる時間ももったいないので、ビルの正面玄関前や駐車場の出入口のスペースをちょっとだけお借りして行います。シールの貼られたものから再度箱詰めされ順次取引先の元へ。とにかく早く欲しいという近くのレストラン等の取引先は会社まで自ら引き取りにきていました。輸入したすべてのワイン、多分50箱600本ぐらいだったと記憶していますが、シール貼り作業を終え、主要な取引先へのすべての納品が終わるは午後3時か4時。もうぐったりです。さあこれで自分たちもやっと新酒が飲めるぞと喜ぶ社員は皆無だったと思います。今でこそペットボトルのヌーボーなど1000円以下で手に入るヌーボーはありますが、当時は3000円以上したかと。解禁日から1カ月も経たないうちに船便で運ばれた普通のボジョレーが市場にでまわりますが、そのお値段は1000円前後。ヌーボーは航空運賃と関税分高価な品物になっていたわけです。それは現在も同じこと、お祭りだと思って飲むのなら「あり」ですが、私としては同じ金額をだせばもっと美味しいワインが楽しめると思っています。
冒頭に記した解禁日まで1カ月近くあるのに、すでに日本に輸入された理由。昨年より2週間以上早いそうですが、コロナの影響で航空便が減少しているため輸送期間に余裕をもたせるための措置だとか。しかし解禁日までの間、倉庫で静かに保管され誰も口にしないのでしょうか、絶対我慢できない人がいると思います。

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お馬さんの話 [楽]

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週末に菊花賞があります。皐月賞、ダービー、菊花賞を制した馬を三冠馬といいますが、これまで7頭しか誕生していません。さらにデビュー以来一度も敗れることなく無傷で三冠馬になった馬は2頭だけ。その1頭ディープインパクトを父に持つコントレイルに8頭目の三冠馬、3頭目の無傷の三冠馬、さらに史上初の親子無傷の三冠馬の期待がかかっています。波乱よ起きろ、私の願いです。
さて、三冠馬の1頭にオルフェーブルがいます。彼は三冠馬となった2011年、年末の有馬記念も制しましたが、それを成し遂げた馬はこれまで3頭しかいません。凄い馬なのですが、彼の場合その凄さが異彩を放っていたようです。私は彼が三冠プラス有馬記念を制した翌年の初出走レースをテレビで偶然見ていました。当てても100円馬券が110円にしかならないほど(1億買えば1000万円儲かるのですが)彼の人気はもちろんダントツ。誰もがどんな勝ちっぷりをみせてくれるのか期待していたことでしょう。ところが彼の走りは最初からいつもと違っていたようです。これまでは終盤までは馬群の中ほどに身を潜め、最後の直線で飛び出していくレース展開が常だったようなのですが最初から先頭集団に。実況するアナウンサーもその異変に気づいていたようでした。その後も猛スピードで飛ばしレース中盤の向こう正面でトップに立ってしまったのです。その際のジョッキーの動きは素人の私がみても不自然でとても慌てた様子でした。トップに立った彼はレースが終わったと思ったのか、騎手に制されたからなのか急速にスピードダウン。故障したのではと実況アナウンサーも興奮気味に異変を伝えます。そんな彼のすぐ横を他の馬たちがもの駆け抜けていきました。その光景をみて「あれ、まだレースは終わってないの?」と思ったのかどうか、彼は再びアクセル全開で走り去っていった馬たちを追い始めたのです。そのスピードは圧巻、フェラーリと軽トラが同じサーキットで走っているようなもの。大回りとなる外側にコースをとりながらもあっという間に馬群に並びそして追い越し、正面スタンド前では馬群から抜け出していた先頭の馬に肉薄したのでした。これで先頭にたってゴールしていればマスコミは大騒ぎだったのでしょうが、結果は惜しくも半馬身差の2着。それでも3000mのコース上で、一旦はトップになり、その後失速したのにそれから巻き返しての2着はご立派でしょう。失速がなかったら数十馬身差、ぶっちぎりのレースだったのかもしれないのですから。レース後の解説者のお話に競馬素人の私は驚きました。いわれてみれば当たり前なのですが、出走する馬たちは今日のレースで何m走るのかを知らないというのです。確かに「今日は1600mだから最初から飛ばすでえ」「3000mの長丁場やから最初は様子見で行きまっせ」などと馬の耳元で囁いているジョッキーの姿がテレビに映し出されたことはないでしょう。朝食で供されるグリコならぬ人参1本が300m、それを10本食べさせれば3000mと、人参の数で馬とコミュニケーションをとっている調教師がいるのかもしれませんが。
大本命オルフェーブルが2着に終わったことで、その日のWIN5(5レースの1着馬を当てる馬券)では当時でJRA史上2番目、100円が2億円近くに化ける配当がついたとか。このオルフェーブル、やはり何かをもった? 何かに欠けた? 異色の馬だったのかもしれません。ところでいつも重賞レースにだけ参加してJRAに貢献している私ですが、週末の菊花賞、あがりの少ないであろうコントレイルは除いて勝馬投票券という国が認めた賭博券を買うでしょう。

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バスタイム [楽]

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新車の匂いは堪らない。乗用車はもちろんだが私は新車のバスの匂いが大好きだ。
子供の頃から車に興味があった私は、学校帰りに駅前のバス乗り場でバスを待つ間も次々に駅に戻ってくるバスを眺めていた。新型と思える見慣れないバスが駅前広場に入ってくるとワクワクしたものである。バスは駅舎前で一旦乗客を降ろした後、行き先標示を替えてそれぞれの乗り場に向かう。もちろんそのまま車庫に戻ってしまうバスもある。ぐるりとロータリーを廻ってきたバスの行き先標示をみて私の乗るバスだった時は小躍りした。あの塗りたての塗料と新しいシートの匂いがかげるのだから。昔はワンマンカーではないから乗車口は中央部に1ケ所だけ。運が良ければ運転手さんのすぐ横、つまり最前部に座ることができた。塗料の匂いに興奮しつつ最前部に向かい起毛が感じられるシートに陣取る。次は最前部の下部に貼りつけられた煙草の箱大の鉄板を探す。そこにはそのバスの製造元や製造番号、そして製造年月日が刻印されていた(コーションプレートというらしい)。初めて乗る新車でも製造年月日から結構月日は経過していたのだが、車が完成してもバス会社別に塗装し納車されていただろうから、先週完成しましたというようなバスはないのだろうと子供の私は推測していた。バスの数も多くない時代、新車に遭遇する機会など年に何度もない。しかし新車のバスの匂いをお腹いっぱい満喫できるところがあった。それがモーターショーだ。晴海で開催されていたモーターショーでは乗用車やバイクは建物の中で綺麗なモデルさんと共に展示され大混雑していた。しかしバスやトラックはといえばモデルさんの姿もない屋外の空き地。人も多くはなく、どのバスにも待たずに乗車できた。街中を走る乗合バスだけではなく観光地の駐車場でしかお目にかかれない観光バスにも乗れたのだから私にとっては夢のような時間だったのである。
あの頃から半世紀あまり、会場も晴海から幕張や有明に移った。今でも自由に新型バスに乗れるのだろうか。そもそも展示されているのだろうか。いや、鉄道好きの鉄子や大相撲好きのスー女もいる時代だ。バス娘(こ)やトラ女(ジョ)で結構賑わっているのかもしれない。さらに最近はバスに乗る機会もめっきり減ったので不明だが、私が胸躍らされた製造年月日が刻まれた鉄板は現在のバスでも同じ場所に貼付されているのだろうか。今度駅前に停車している発車待ちのバスに用もなく乗って運転席周りをじっくり確認してみるとしよう。あらぬ疑いで捕まるかもしれないが。
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Halloween Collection [楽]

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幼い頃から有楽町は何度となく訪れているが、私は東京都民になったこともないのでかつてそこにあった都庁もきたことがない。つまりその地に立つことは生まれて初めてのことだった。
花嫁、シスター、メイド、ドラキュラといった人目を意識した衣装、メイクの観客たちでホールへつづく幅広く緩やかな階段やゆったりとしたコンコースはあふれていた。その日、私たちが東京国際フォーラムを訪れたのは女性アーティストのライブを観るため。チケットにハロウィンの文字はあったが、観客も仮装すべきだったのかとその場にきて気付いた。開場を待つ間、観客同士がいたるところで写真を撮り合っている。「私の方が凝っていて注目度はあるけど一応撮ってあげるわよ」それぞれがそう思いつつシャッターを押しあっているのだろう。無駄な装飾を一切排除したようなシックなホール内は、開演をじっと待つという雰囲気ではなく異様な熱気が覆う。不気味さを漂わせる音楽が流れホールが一瞬静まる。次の瞬間、スポットライトが彼女を捉えると観客席にまぎれた花嫁やドラキュラたちが一斉に歓声、雄叫びをあげ興奮レベルはマックスに達した。若い女性たちが共感する彼女の歌に私も魅かれたのは彼女がデビューしてかなり時間が経ってからのこと。そして生の歌を聴くのはその日が最初。私の一番聴きたかった曲は歌われなかったが、終始来場者を魅了した彼女のステージはあっという間に終了してしまった。アリーナやドームのような大きな器で開催した方が興行的にはおいしいのだろうが、音響照明設備の整った会場を彼女はあえて推したのだろう。次回は同じ場所で彼女のバラード曲だけを聴かせる落ち着いたライブを催して欲しいものだ。
しかしその日会場にいた彼女のファンたちは、場にそぐわない私たちをみて「メイクアップアーティストに頼んだのかしら、まるで本物の老人」と驚嘆しただろうか。

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ザギンでブラモン [楽]

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ひと昔前銀座に行ったときの話です。全国に点在する○○銀座ではありません。本家本元、東京都中央区の銀座です。
日比谷での映画鑑賞を終えた私と奥さんは、喉を潤すために喫茶店を求め数寄屋橋から銀座通り方面に向け裏通りを歩きました。しかし納得のいく店は見つからず、やがて銀座通りに到達。土曜の午後、歩行者天国となった通りでは大道芸が披露され、いたるところに人だかりができていました。きょろきょろしながら歩いていると四丁目交差点付近に建つビルの壁面に「銀座一おいしいモンブラン」の看板を発見。私たちは狭い階段をのぼり入店し、またまた狭い迷路のような店内を案内されて席につきました。アンティーク調の店内のほの暗い照明の下、メニューをみてびっくり、どれもホテルのラウンジ以上のお値段です。私たちはそれぞれアイスティーとコーヒー、加えて銀座一というモンブランをひとつオーダーし、仲良く分け合うことにしました。その味が銀座一だったかどうかはわかりません。銀座にある他の店のモンブランを知らないのですから。でもレジで支払った額は、二人分の映画鑑賞代よりも高額でした。店を出ると先ほどは誰もいなかったのに狭い階段には席が空くのを待つマダムの列が。彼女たちにレシートを見せてあげるべきだったでしょうか。通りにでてから私たちは和光の時計台が背後に映るアングルで記念撮影。まるでおのぼりさんです。フランス人のふりをして誰かに撮ってもらおうかとも思ったのですが、自分で腕を伸ばしてシャッターを切りました。その後、銀座三越の食料品売場を視察し、こんな高い野菜を誰がどこから買いにくるのだろうと呆れたり、日産ショールームに行って、ひと昔前と比べ衣装も雰囲気もかなりおとなしくなってしまったミスフェアレディーに落胆したり、千疋屋前では、目の前に運ばれてきた四分の一カットのウオーターメロンに感動した小学生の頃を懐かしんだりと、久しぶりの銀座を満喫したのです。
でも不快な思いもしました。海外高級ブランド店の前を通ったときのこと。私たちは立ち止まることもなく、ただゆっくり舗道を歩きながら店内の様子を眺めていただけです。にもかかわらず、インカムをつけて正面入口に立っていたSPきどりの黒服のお兄さんは、私たちを見るなりそれまで開け放たれていた扉を閉め、さらに小型マイクに向け何かを囁いたのでした。不審者接近厳戒態勢とはいっていなかったでしょうが好印象をもたれなかったことは事実のようです。店に入り値段も見ずにあの棚にあるバッグを端から端まで全部ちょうだいとでも言い放ちたかったですが、何も日本で買う必要もなかろうと無駄遣いはやめました。本家の銀座でのお買い物はといえば、有楽町方面に戻る途中にあったマツモトキヨシ銀座5th店で購入したコンタクトレンズ洗浄剤と、有名な西銀座チャンスセンターでもなく普通の露店の売場で買った宝くじだけ。近所の銀座でもこと足りたわけです。

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ノーベル経済学賞受賞者は衝動買いをどう理論づけるだろうか [楽]

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私には衝動買いしたという記憶がありません。小学校低学年の頃から個人の貯金通帳を自分で管理し、さらに手帳サイズのお小遣い帳も持っていて入出金を正確に記録するほど几帳面な子供だったのです。幼い頃から金銭感覚を身につけさせようと、金銭感覚の欠如した両親に持たされていたのでしょう。親の期待に応えるように、お年玉から毎月の小額のお小遣いまで私はコツコツと銀行に預けました。もちろん窓口のお姉さんがきれいだったからではありません。当時は簡単には入手できなかったディズニーグッズ欲しさに銀行に預けていたのかもしれません。預金高は3桁からすぐに4桁になりそれが徐々に5桁に近づくにつれ自然と頬がゆるんだものでした。かといって貯めるだけの守銭奴だったわけではありません。欲しいものがあれば、それを手に入れるための目標額に向けせっせと貯金に励んだのです。外国製のミニカー、レーシングカーセット、自転車、ラジオ、テープレコーダー、バイク、成長するに従い当然目標設定額は増加していきました。そして到達すれば一気に使いきっていたのです。計画的で堅実、衝動買いなどというワードの存在を否定していた私ですが、衝動買いをしなかったことを後悔しているモノがあります。それはアニメでお馴染み「バックスバニー」の木彫りの人形です。それを見つけたとき私は小学校低学年ではなく、すでに40歳代半ばを過ぎていました。仕事でニューヨークに行った際に彼と出会ったのです。身長30センチぐらい、木製ですから重量感もありました。決して丁寧な彫りではありませんでしたが、世に出回るぬいぐるみやプラスチック製の兄弟たちに比べ、圧倒的な存在感がありました。値段も20ドル弱。絶対のお買い得品でした。しかし彼の搬送を考えレジに行くことを躊躇してしまったのです。手荷物で機内に持ち込むには私自身少々歳をとりすぎていました。手荷物検査所や機内で変質者を見るような視線を浴びせられるのはもうこりごり。かといってスーツケースに入れれば細部が折れて破損する危険性が高かったのです。熟慮の上、次回訪れるときまでには最善の搬送方法を考えてくるからと彼と約束して店をでたのでした。それ以来私はニューヨークと無縁です。彼をあの時持ち帰っていれば、今頃我が家の玄関に、福助と並んで陳列されていたことでしょう。買って後悔するより、買わないで後悔する方が人間長くひきずるようです。

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夢のお話し [楽]

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二回ほど夢の中に象がでてきました。最初はジャンボジェットも入りそうな巨大な倉庫の中でおとなしく立っている象。でも動物園で見かける象とは明らかに異なりとてつもなく巨大な象でした。マンモスではありません。クエとアブラボウズは外見でも食べても区別はつかずとも象とマンモスの違いは私でもわかります。絶対に象でした。インドの街中を闊歩する象のように背中には綺麗な敷物のようなものがかけられていましたからきっと高貴な象だったのでしょう。誰かに「倒れてくるかもしれないのであまりそばによらないように」と注意されたことまでは覚えているのですが・・・。二回目に登場した象の詳細は記憶にありません。でも目覚めたとき今日も夢の中で象に会ったと確かに思ったのです。何かの暗示かと思い早速インターネットの夢判断や夢占いのサイトをのぞくと、象の夢は幸運・金運をもたらす吉夢とのこと。さらに背中に乗っていれば近々権力や名声を得ることになるらしいのです。宝くじで大当たり?芥川賞受賞?日銀総裁就任?夢は膨らみます。今度見つけたら絶対象の背中に乗ってやろうと考えてはいるのですが、私そのものも夢の中では象だったとしたら私は単なる子象にすぎないということになってしまいます。巨象の背中に飛び乗る前に蹴り飛ばされてお終いかもしれません。
半世紀以上生きている私ですから象に遭遇する前にもいろいろな夢を見てきました。最近でもたまにみる夢は、跳び箱とか鉄棒とか私の苦手な種目が予定される体育の授業を明日に控えた前夜の夢です。寝れば否応なしに朝を迎えることへの恐怖。もっとも近頃は、「すでに私は大人だ、体育とは無縁、これは夢だ」と夢の中で叫ぶようにしています。でも目覚めの悪い夢にはかわりません。生涯で一番衝撃を受けた夢といえば40年以上前に見た夢でしょう。私は当時ロンドンでホームステイしていました。もちろんそこは英国人家族の家、誰も日本語を話しません。滞在後何ヶ月かして彼らが夢の中に登場したときのこと。私を囲んでいつものように夕食をとるご主人、奥様、子供たちまでが、なんと流暢な日本語で会話していたのです。声もそのままでした。英会話の習得を目指し英国で暮らしていた私のモチベーションが翌朝からかなり下がったことを覚えています。
もっともどんな夢でもその記憶があることは幸せだと思わなければいけません。夢占いのサイトを探す中で怖い事実を知ったのです。夢は左右の脳を繋ぐ脳幹で発生し睡眠時活発になる右脳でストーリーが形成されるらしいのですが、右脳に出血や梗塞などの障害が起こった人は夢をみなくなるというのです。実際には見ていても、右脳で見た夢の内容が左脳に伝わらず結果として表現できない、夢をみていないということになるようです。皆様は最近夢をみていますか?

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こどものひとこと [楽]

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私には娘がいません。息子がふたりいるだけです。
今にも粉雪が舞い散ってきそうな土曜の午後、スーパーで買い物をしていたら、小学校一、二年生の女の子が私の方に走ってきながら叫びました「パパ、ラムネ買って」。私はパパではありません。背後にいた私より相当若いお父さんにいったのです。「こっちだよ」とパパは娘に手を引っ張られてお菓子売り場に連れていかれました。店の構造上レジに行くにはそこを通らなければならなかったので、私も菓子売り場に行きました。すると先ほどの女の子がパパに交渉中。「ねえ買って、いいでしょ」「○○は、こういうお菓子が好きだなあ」。交渉成立、パパの答えはイエスでした。そこへ他の売り場で買い物をしていたであろうママが合流。パパの合意を得たことを笑顔で説明する娘にママは冷徹な一言を浴びせました。「今日は買わないわよ」。冷凍食品売場でもないのにお菓子売り場の空気が一瞬凍りました。娘よ大声で泣き叫べ、もしくはママを思いっきり罵れ、私の願望に反し「だってパパはいいって」。娘はママを説得するかのようにやさしくいいました。「パパがいってもだめなものはだめよ」口調はソフトでも母は強し、娘の要求は一蹴されたのです。女の子はそれ以上何もいいません。パパは娘を軽々と抱き上げ、レジに向かいました。パパの肩越しに見えた女の子の表情から悔しさも悲しさのかけらもみうけられません。逆に「だめだったか、仕方ない」と満足そうな笑みを浮かべているように見えたのです。何かほのぼのとした短いドラマをみせてもらったようで、私の心も少しばかりあたたかくなりました。
私が息子をだきかかえた時の思い出といえば、外食時、幼稚園児だった息子がいうことをきかないのでお店の外へ連れ出したときのことです。観光スポットにも近く、人通りの多いその場所で、息子は私の腕の中で暴れ、必死の形相で叫んだのです。「誰か助けてくれー」。

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ノーベル賞とピンボールにおける相対性理論 [楽]

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毎年ノーベル文学賞候補にはあがる村上春樹氏ですが今年も縁がなかったようです。その村上春樹氏の代表作といえば「ノルウエイの森」をあげる人が多いのではないでしょうか。でも私は違います。彼の初期の著書「1973年のピンボール」です。読んだわけではありません。ただピンボールが好きだから覚えているのです。
そのピンボールを最近みかけることが少なくなりました。かつてはゲームセンターに入れば、盤面を転がる金属ボールがターゲットや障害物に触れたり、ボールの落下を防ぐフリッパーを動かしたりするたびに生じる、乾いた音がきこえたものです。しかし今は主役の座を他のハイテクを駆使したゲーム機たちに完全に奪われてしまったようで耳にすることがありません。子供の頃からピンボールが大好きだった私は、年に1度の家族旅行にでかけても、宿で供される料理や露天風呂からの眺めなどには興味なし。宿の遊戯室に設置されたピンボールがきちんと整備されているか、盤面や点数ボードがアートとしてプレイヤーを魅了するか否かで旅館の星数を決めていたものです。ついにはピンボール本体を所有したくなり、ゲーム機の下から裏側に回りこんで製造元情報を入手し、そこへカタログ請求をしました。請求者が小学生であることを知ってか知らずか、そのメーカーはちゃんとカタログを送ってきてくれたのです。しかしA4サイズのペラのカタログというよりリーフレットは白黒写真で、それをみていても気分が高揚することはまったくありませんでしたが。価格表は同封されておらず、ご連絡お待ちしていますとの手紙がついていたと記憶しています。どちらにしても小学生のお小遣いで買える値段ではなかったでしょう。ちなみにカタログを送ってきてくれたのは太東貿易という会社。現在もゲームメーカーとして知られるあのタイトーです。ところで私がなぜピンボールを好きだったかといえば、金属ボールを弾く音、盤面や点数が表示される正面のボードで輝くイルミネーションの美しさなど、アーティスティックだった幼少時代の私の聴覚視覚に心地よい刺激を与えてくれたことも大きな要因かと思います。でも何といって左右の指でフリッパーを操り、時にはゲーム機そのものに軽く衝撃を与え、いかに長時間若干傾斜した盤面からボールが消え去らないようにして点数を増やすかという単純明快なルールが、私のようなシンプルな子供の頭脳にマッチしたことが最大の理由だったのではないでしょうか。
最近のニュースをみていると殺人事件を報じない日がありません。私たちが子供の頃は今のように凄惨な殺人事件が多発していなかったと思います。それに凶悪犯といえば、務所帰りや定職につかないおっさんというのが一般的でした。でも今は若者が加害者になるケースも目立ちます。ではなぜ今の若者は簡単に人を殺めてしまうのでしょう。ゲームの影響が少なからずあると私は考えるのですが。少なくとも今の中期高齢者以上の人たちが子供の頃に遊んだゲームに、相手を傷つけることが許される残虐なゲームはなかったはず。野球盤や人生ゲーム、ピンボールで殺しあいはありえません。もちろん今のゲームの中にもシンプルでほのぼのしたものもあるでしょうが、戦闘的な展開になるゲームには規制をかけてもいいのではないでしょうか。

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