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ノーベル賞とピンボールにおける相対性理論 [楽]

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毎年ノーベル文学賞候補にはあがる村上春樹氏ですが今年も縁がなかったようです。その村上春樹氏の代表作といえば「ノルウエイの森」をあげる人が多いのではないでしょうか。でも私は違います。彼の初期の著書「1973年のピンボール」です。読んだわけではありません。ただピンボールが好きだから覚えているのです。
そのピンボールを最近みかけることが少なくなりました。かつてはゲームセンターに入れば、盤面を転がる金属ボールがターゲットや障害物に触れたり、ボールの落下を防ぐフリッパーを動かしたりするたびに生じる、乾いた音がきこえたものです。しかし今は主役の座を他のハイテクを駆使したゲーム機たちに完全に奪われてしまったようで耳にすることがありません。子供の頃からピンボールが大好きだった私は、年に1度の家族旅行にでかけても、宿で供される料理や露天風呂からの眺めなどには興味なし。宿の遊戯室に設置されたピンボールがきちんと整備されているか、盤面や点数ボードがアートとしてプレイヤーを魅了するか否かで旅館の星数を決めていたものです。ついにはピンボール本体を所有したくなり、ゲーム機の下から裏側に回りこんで製造元情報を入手し、そこへカタログ請求をしました。請求者が小学生であることを知ってか知らずか、そのメーカーはちゃんとカタログを送ってきてくれたのです。しかしA4サイズのペラのカタログというよりリーフレットは白黒写真で、それをみていても気分が高揚することはまったくありませんでしたが。価格表は同封されておらず、ご連絡お待ちしていますとの手紙がついていたと記憶しています。どちらにしても小学生のお小遣いで買える値段ではなかったでしょう。ちなみにカタログを送ってきてくれたのは太東貿易という会社。現在もゲームメーカーとして知られるあのタイトーです。ところで私がなぜピンボールを好きだったかといえば、金属ボールを弾く音、盤面や点数が表示される正面のボードで輝くイルミネーションの美しさなど、アーティスティックだった幼少時代の私の聴覚視覚に心地よい刺激を与えてくれたことも大きな要因かと思います。でも何といって左右の指でフリッパーを操り、時にはゲーム機そのものに軽く衝撃を与え、いかに長時間若干傾斜した盤面からボールが消え去らないようにして点数を増やすかという単純明快なルールが、私のようなシンプルな子供の頭脳にマッチしたことが最大の理由だったのではないでしょうか。
最近のニュースをみていると殺人事件を報じない日がありません。私たちが子供の頃は今のように凄惨な殺人事件が多発していなかったと思います。それに凶悪犯といえば、務所帰りや定職につかないおっさんというのが一般的でした。でも今は若者が加害者になるケースも目立ちます。ではなぜ今の若者は簡単に人を殺めてしまうのでしょう。ゲームの影響が少なからずあると私は考えるのですが。少なくとも今の中期高齢者以上の人たちが子供の頃に遊んだゲームに、相手を傷つけることが許される残虐なゲームはなかったはず。野球盤や人生ゲーム、ピンボールで殺しあいはありえません。もちろん今のゲームの中にもシンプルでほのぼのしたものもあるでしょうが、戦闘的な展開になるゲームには規制をかけてもいいのではないでしょうか。

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