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宣告 [小説]

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「この部分に影があります。処置のしようがありません」主治医の診察室で宣告された父の病状だった。父は自分の犯された病が何であったのかを知ることなしに逝った。私はまだ大学生、インフォームド・コンセント(説明と同意=医療を医師と患者の共同作業と捉え、医師が患者に病名、治療法等を説明し、患者の同意を得ること)などという言葉が世の中に認知されていなかった半世紀近く前のことである。
木枯らしの吹く雑踏の中にいると頭に異様な痛みを感じる。激しいというわけではないし、鈍痛とも違う。何か染みるような痛みであった。私はこの症状が尋常ではないと自ら直感し主治医を訪れた。案の上、主治医は総合病院でのCTスキャナによる頭部断面レントゲン撮影を薦める。それを診て主治医は診断したいというのである。この場で紹介状を書くから明日にでも訪問するようにとの医師の言葉から私には自分の病気の重大さが想像できた。総合病院はいるだけで健康な人間を病人であるかのように錯覚させるに充分な雰囲気を持ち合わせている。まして重病人である可能性の極めて高い私は精神的にも病に犯される前に 一刻も早くこの場を立ち去りたいと願った。私は病院から逃げ去るように現像仕立てのレントゲン写真を抱えタクシーに乗りこんだ。この写真を診て主治医はどのような判断を下すのか。いつまでもこのままタクシーに乗っていたい。主治医のもとに到着しなければいいのに。私は複雑な思いを巡らせながら車中での時を過ごした。主治医は封筒から3枚のレントゲン写真を取りだし1枚ずつシャウカステンにとめる。最後の1枚がうまくとまらずひらりと宙に舞い床に落ちた。私は何か不吉な予感を感じたが、医師は平然とそれを拾い上げ再びクリップでとめた。主治医がスイッチを入れると背面の蛍光灯が点灯し私の頭部の断面写真鮮明に浮かび上がる。医師はじっと見つめ検証しているように思えた。重苦しい沈黙が診察室を覆う。私の脳裏に20数年前の光景がフラッシュバックし現在の光景と重なった。静寂は2~3分続いたであろうか。私に背を向けるように写真を見つめていた医師が回転椅子を半回転させ私を直視した。医師の表情の硬さから、私はただ事ではないことを察知した。患者にも辛いが医師にとっても辛い告知の時を迎えたようである。しばしの沈黙の後、医師は口を開いた。「この写真では、はっきりと確認できないのですが……」そう言うと医師は再び椅子を回転させ掲示された3枚のうちの1枚の写真の一部を指さし言葉を続けた。「この部分に……」私は目を閉じた。いったい余命はどのぐらいなのだろう。その間に何をすべきか頭の中で様様な情報が交錯した。早くいってくれ、いや、今日はききたくない。強い自分と弱い自分が闘っている。「この部分に……禿げがありますね」「?」「痛みの原因はこの禿げでしょきっと」「やっぱりあった。抜けてるね随分。周囲の毛髪が隠してたんで自分じゃ意識がなかったんだね。私では処置のしようがありません。このままだとあと1年でつるっぱげだよ。早めにハゲザンスに相談したらどう?」病院をでると頭が痛い。冷たい北風が頭部に容赦なく吹きつけていた。少しでも阻止せんと頭頂部に手をあてると痛みがおさまる。毛根の衰退から細くなってしまった毛髪が数本、弱々しく風に吹かれ飛んでいった。医師の宣告が正しいことを私は認めざるをえなった。

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