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むかしむかし私はベルギー人でした [楽]

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私のルーツはベルギーの貴婦人だそうです。日本よりも欧州にいるときの方が便通もよく体調が良いことからして間違いないと思います。
かつて勤めていた会社に霊力を持つという先輩がいました。彼はそうしたパワーを持つ人が多く存在するといわれている奄美諸島の小さな島の出身。当時私の地元では市長選が近く、隣接する市の若手議員の立候補が噂されていました。そこでその対抗馬として私が出馬することの是非を彼の霊力で判断してもらおうと考えたのです。場所は蝋燭の炎が不気味に揺らぐ彼のアトリエではなく、会社近くの沖縄料理店のお座敷。私に生年月日など基礎データを尋ねた後、彼は私に筆記用具を要求し突然絵を描きはじめたのです。そこに描かれたのはロココ調ドレスを着た女性。そして私のルーツはベルギーの貴婦人だと宣告したのでした。突然貴婦人として誕生したのかどうかなど細かいことは尋ねませんでしたが、とにかく出身はベルギーなのです。その貴婦人の子孫がフィリピンにわたり、その後日本の山口県光市あたりに上陸して日本人化していったとのことでした。にわかに信じがたいですが思い当たる節もあります。フィリピンはかつてスペイン領。私にとって外国人として最初にできた友人はスペイン人だったので、それがきっかけでスペインに興味をいだき、スペイン語を少しばかりかじり、スペインに関わる書物を読み漁り歴史も学びました。さらに全く知りませんでしたが山口県には私の苗字と同じ地名があったのです。彼が私のプロフィールを事前に入手した上で、私が承服せざるを得ないルーツを構成したとは思えません。本題の私の市長選の件ですが、彼いわく今回はやめておきなさいとのことでした。しかし彼は元代議士でその後都政に打って出た地元出身の大物に相談することを執拗に勧めたのです。私とあの人とは考え方が180度違うから意味がないといっても、一度は会ってみなさいというのでした。何ヵ月後かに行なわれた市長選では私が立候補を断念したため隣の市の若手議員が現職を破り見事当選。当時日本で最年少の市長が誕生しました。当選の翌日、新市長のもとに「応援するよ、一緒に国と喧嘩しよう」との電話があったとか。その電話の主は、私が面談を勧められたあの大物だったそうです。
先輩のお告げがあった後、私の祖先はベルギー人だと公言していますが、実はその数ヶ月前に私は仕事でベルギーを訪れていたのです。フランスから車でベルギーに入ったので国境がどこだったのかもわかりません。ここはもうベルギーだといわれても故郷に帰ってきたという感慨もなく、何か不思議な感覚に陥ったということも全くなかったと記憶しています。ベルギーでの思い出といえば、日本で見たこともないような色をした貝の盛り合わせをブリュッセルのレストランで食べた直後から約3日、移動中であれ会議中であれ、何十回もトイレに行くことになったということだけ。筆舌に耐え難い苦難の出張を経験させられたのでした。でもそれは故郷をことなどすっかり忘れて日本人になりきってしまった私に対するご先祖様からの戒めだったに違いありません。

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