SSブログ

脱・断捨離 [楽]

img624f.jpg
私はものを簡単に捨てられません。他人にはゴミに見えても私にとっては大切な代物。ついつい将来宝物に化けるかもしれないと思ってしまうのです。
私の幼少期、あの仁丹から野球ガムなるものが発売されていました。ガムに加えておまけとしてプロ野球選手ひとりの顔写真とプロフィールが記されたガム1枚大の厚手のカードが入っていたと記憶しています。野球少年だった私はそのガムに夢中になり、10円玉1枚握りしめてせっせと近所のお菓子屋さんに通ったものです。正確なシステムは忘れましたが多分そのガムの包装紙を何枚か集めて仁丹に送ると、小さな小さな球団旗のメダルがもらえました。私は巨人阪神中日大洋国鉄広島南海西鉄東映大毎阪急近鉄、セパ12球団のうち10球団ぐらいの旗を獲得。キーホルダーにつけて大事に保管し時折ながめてにんまりしていたはずです。しかし当時私たち家族は父に転勤があったわけでもないのに頻繁に引越しをしていました。その度に私の宝物は私の知らないところで不用品を入れる段ボールに放り込まれていったのです。仁丹特製の球団旗メダルもいつのまにか消えてなくなりました。先日ネットオークションを覗いたら私が昔いっぱい保有していた仁丹ガムの野球カードや球団旗メダルを発見。球団旗メダル12個セットが30000円で落札されていました。フルセットではないものの今は存在しない球団の旗も私の手元にはありましたから、個々に売ったとしても2万円以上の収入になったはずです。その他に処分されて恨んでいるモノとしては、ソニー坊や(世界のSONYのマスコット)の人形、三菱銀行でもらったミッキーやドナルドの貯金箱(現在市場に出回っているものとはモノが違います。とにかく硬くて丈夫でした)などなど。それになんといってもブリキ製自動車のおもちゃでしょう。特にお気に入りだったのは全長30cm近くの走らせると定期的にクラクションが鳴るアメ車のおもちゃ。さすがに化粧箱こそ捨ててしまっていたものの、私は粗暴な子ではなかったのでどのおもちゃも扱いは非常に丁寧。だからどれもみな新品に近い状態、今保有していれば北原照久氏が相当な値で買い取ってくれたに違いありません。
私が成長して引越荷物の整理梱包を自分でやるようになってからは他人がいうところのガラクタ、私にとっての宝物は増え続けています。現在我が家の押入れには昭和30年代後半から40年代前半にかけての自動車ショーで各メーカーが配布していたパンフレットや、秋葉原の電器店で入手したアンプ、プレイヤー、スピーカーなどのカタログ類が納められた段ボール箱があります。そして今も旅行代理店に置かれているツアーパンフレットなどがコレクターズアイテムに加わり増殖しつつあります。ただで世界各地へいったような気になれるし地理も覚えられるので旅行社のパンフレットは結構楽しめるのです。半世紀後、孫の代になったら世界の街も大きく様変わりしているでしょうから、21世紀初頭の紙媒体のツアーカタログは学術資料としても注目されている可能性があります。「こんなもの」と一般人が関心を示さないものが、将来あなたの人生を変えるかもしれません。断捨離反対! モノは大切に。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。