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空港 [旅]

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空港、Airport という言葉を耳にすると、新たな旅立ちや出会い、再会を連想して気持ちが高揚したりロマンを感じたりする一方、その響きが時折寂しく聴こえるときがあるのは私だけではないと思います。「空港」「雨のエアポート」のように歌になり、「ターミナル」「ラブ・アクチュアリー」など映画の舞台になることが多いのもそのためではないでしょうか。
私が社会人としてデビューしたのは航空貨物を扱う会社でした。成田空港開港直前、まだ羽田が首都圏唯一の国際空港だった頃です。私自身は世界のブランドS社に席を置き、ブラウン管(現在は知らない人が多い?)や音響製品を中心に、時にはミサイルの弾頭に装着されるのではと噂しながらビデオカメラの輸出業務を担当していました。その会社に入るまでは旅客機の荷物室には乗客のスーツケースや郵便物ぐらいしか搭載されていないだろうと思っていたのに、高額な運賃がかかるにもかかわらず多くの一般輸出入貨物が積まれているとは想像もしていませんでした。貨物専用機では牛や馬なども輸送されていたのですからびっくりです。私が入社した年に日本で最初のF1グランプリが開催されましたが、世界を転戦するF1ですから輸送も当然飛行機。そのF1マシンの輸送・輸出入を担当した他社の人たちを羨ましく思ったことを覚えています。当然羽田空港にも頻繁に行きました。絶えず甲高いエンジン音が聞こえ、オイルの焼けた臭いが漂う空港に着くと意味もなくワクワクしたものです。空港に隣接していたホテルのレストランもよく利用しました。窓越しに微かに聞こえる離陸していくジェットのエンジン音、尾翼に様々なマークを浮かび上がらせ世界に飛び立つ各国フラッグキャリアの機影。すべてが眼前のお料理のスパイスになっていました。羽田は私にとってデートコースでもあったわけです。空港の外側には良い思い出がありますが、ひとたび旅人となって空港の利用者となると話は別。私の場合、歌詞や映画のシーンになるようなドラマチックな出会い、別れ、再会は皆無といえます。出国時にスーツケースの中身をすべて取り出され、女性用ウイッグや付け毛、マニュキアを他の搭乗客の前でお披露目することになったり、手荷物の梅干が液体爆弾か何かと疑われたのか判明するまで手荷物検査所の機能をストップさせ、長蛇の列を作る張本人になったりと悲惨な記憶ばかりです。
羽田空港は利便性が見直され24時間稼動する国際空港として進化しつつあります。航空需要の拡大にそなえ空港の整備が急務と叫ばれた半世紀前に羽田沖合いへの拡張に着手していれば。当時の土木技術では困難だったといいますが本当でしょうか。多くの血を流してまで不便な成田に新空港を建設したのは特定の誰かさんたちを潤わせることを優先させた結果では。今は世界中どこの空港も新型コロナウイルスの影響で発着する便数も激減し、かつてのように華やかでロマンを感じられる場所ではないようです。少しでも早く誰もが飛行機で国内外問わず各地へ移動できる日が戻ってくることを祈ります。

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