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猫の耳 [楽]

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私は文章を書くことが好きです。でも最近はいざ書こうと思っても頭の中に浮かんだ簡単な情景が指先を通じて単語となって表現されるまで時間がかかります。自分で思考することをギブアップしてインターネットの辞書などに頼ることも増えてきました。
「薄い耳をつまんだ」。何気ない言葉ですが、ある文豪の書いた童話の中のこの一文がラジオで紹介されたとき私は衝撃を受けました。薄いと表現された耳は猫の耳です。私の家にもかつて猫がいました。数年一緒に暮らしていたので猫の特徴は捉えているつもりでいました。もちろん猫の耳の皮が薄いことには気づいてはいたのですが、それをストレートに「薄い耳」という言葉で原稿用紙のマスを埋めてしまうところに、当たり前ですが文豪と私の間にはとてつもなく大きな表現力の差があることを思い知らされた気がしたのです。我が家にいた猫はもともと野良猫。巷のどこにでもいる猫です。でも家の中を闊歩する姿はトラそのもの、猫なで声をだして人に擦り寄ってくることは年に一度あるかないか。野生に近い猫でした。その猫の耳の内側は野獣とかけ離れた淡いピンク色をしていて、皮膚は薄く、短い短い毛が生えていました。その耳に私が顔を近づけ、耳の先をつまんで明かりにかざせば向こう側の風景が透けてぼんやり見えたに違いありません。でもそんなことをしたら私の顔面は指先に凶器を備えた手足によって乱打され血だらけになることは明白でしたから、私はただ薄い耳を外側に折りたたんだりしてときおり遊んでいました。もちろん相手は非常に不愉快そうな表情をしていましたが。猫好きで知られるその文豪もいつも「猫の耳ってなんて薄いのだろう」と感じていたのでしょう。ひょっとすると私同様に耳を悪戯していたのかもしれません。
生まれた国の異なる男女がいます。もちろん言語も違いますから意思の疎通もままなりません。男は小説家、女はその男の家に通うお手伝いさんです。彼は毎夕彼女を駅まで送っていきました。その車内での会話、男は「今が1日の中で一番好きな時間だ。君とドライブできるから」と言います。一方助手席に座る女は「今が1日の中で一番悲しい時間よ。あなたとの別れが近づくから」と呟きます。片や英語、片やポルトガル語、お互い相手の言葉が理解できないので二人とも何を言っているかはわかりません。表現方法は正反対ですが思いは同じです。映画の中のワンシーンでしたが、この映画の脚本家にも私は脱帽しました。脚本家の脳裏に一瞬で閃いたのか何日も考えぬいた末に生まれた会話なのかはわかりませんが、最終的に台詞にしたのですからご立派です。
小説は読むものではなく書くもの。私の表現力の乏しさは盗作騒動に巻き込まれることを嫌って他人の小説をあまり読まなかったことの弊害なのでしょうか。公文書改ざん、収賄、贈賄、煽り運転ン、レジ圧など、新聞や雑誌、ビジネス書にはあまり人の心を動かすような情景をイメージさせる言葉はでてきませんからねえ。

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